インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

新年度を控えて途方に暮れる

2020年度が終わります。私の職場は学校なので、仕事の区切りは毎年4月から翌年3月までの1年間で、明日からは2021年度の仕事が始まります。先日は、コロナ禍への対応に明け暮れた2020年度の苦労をねぎらおうということで、職場の同僚と乾杯しました。といってもこのご時世、居酒屋などに繰り出すのはさすがに憚られるので、近くのコンビニでスパークリングワインとチーズを買い、教員室でお互いに距離を取りながら一杯だけ飲みました。

2021年度もコロナ禍への対応は続きそうです。でも今年度の経験をふまえて、もう少しスマートに対応できるかもしれません。その分だけ、少しは仕事がラクになるかも……と考えるのですが、ここのところ、いままでのような仕事の仕方をやめてしまいたいという衝動を抑えきれなくなっています。ああ、あと数年で定年を迎えますし、いまさら新しいことにわざわざチャンレンジするなどというリスクを冒す必要もないなずなのに。

でも、このまま半ば固定したルーティンのまま仕事を続けていったら、きっととんでもない老後が待っているような気がするのです。私の仕事の大部分はひとさまに何かを「教えること」ですが、周囲の同僚に比べるとそのキャリアは短いほうだとはいえ、そこはそれもう十数年もやっているのでそれなりに「そつなく」こなせるようにはなっています。でもそれが危ないんじゃないかと。

最初にこの仕事を始めたときのような、かなり不安かつ向こう見ずな気持ちで教室に向かったような、ああいう感覚を自分に取り戻さなくては。実はすでに新年度の授業に向けて、いくつかの学校の教案をかなり作りためてきているんですけど、いまにわかに、それらを全部ボツにしてまったく違うやり方をしたくなっている自分をみつけて、ちょっと途方に暮れています。

でもこういうふうに考えてしまうのは、教えることがイコール「自分が学ぶこと」でもあるからでしょう。固定したルーティンに埋没してしまったら、自分が学ぶ楽しみもほとんど失われてしまうんです。その意味ではかなり身勝手な考え方です。だって学生さんにどう教えるかよりも、自分がどう楽しく学ぶかに意識が向いているんですから。ただ……これはまだうまく言語化できないけれど、教師がとにかく楽しくそれを学んでいる姿を端から見て、はじめて学生さんは自分も学ぼうという気になるんじゃないか。そんな気がしています。

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