インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

仕事とは別の居場所を見つける

私はこれまでに何度か失業したことがあります。でも不思議なことに、若い頃は失業中もあまり不安に感じたことがありませんでした。もちろん、いくつも面接に出かけて行っては「お祈りメール」をもらう(その昔はメールではなくお手紙でしたが)たび、落ち込んではいましたけど、どこかで何とかなると思っていました。未来を楽観していたのです。

ところが40歳代も終わり頃になって失業したときは、それまでとはずいぶん様相が違っていました。何とかなるという自分の若い頃からの思い込みが通用しない年齢になっていたことに気づいていなかったのです。もちろん仕事は年齢とは関係なく、その人に何ができるかだという理想論はあります。また仕事を選ばなければいくつになってもいろいろと働ける場所はある。

でも、それまでに自分が積み上げてきたものを活かして、ということになると、年齢のハードルが重くのしかかってくるのです。いまの職場に仕事を得る前にいくつかうかがった面接先で、それを痛感しました。

qianchong.hatenablog.com

そしてこの先は、もっと困難になるでしょう。自分が積み上げてきたものを活かして仕事を続けていくことが。だったら、いまから別のものを積み上げていく必要があります。そう考えて、ここ数年はこれまでの自分の本分だった領域以外のいろいろなことを学ぼうとしてきました。それらが何か新しい仕事につながるかどうかは全くの未知数ですし、仕事というものはそういう頭の中で組み立てた筋書きとはまったく見当違いの方向から飛び込んでくるものでもあるので、いかにも心許ないのですが。

そしてこれからは、さらに自分が住んでいる地域の中に、いろいろな人間関係を見つけていきたいと思います。私の実家は九州にあるのですが、私自身はほとんど住んだことのない土地で友人や知人もほとんどいません。いま住んでいるのは東京の区部ですが、ここも本来はまったく縁のない土地です。だけれども、この先も数年は東京で働いていくはずなので、とりあえずはここで、いまの仕事とは別のフィールドを探していこうと。

私は極端な人見知りで、地域に溶け込むなんてことはほとんどできそうにありませんけど、でもよくよく考えてみたら、もう東京に何十年も住んでいて、いまの場所にも七〜八年は住んでいるというのに、自分が住んでいる地域のことをほとんど知りません。単に仕事に出かけ、仕事から帰ってくる場所であるだけで。

でも、私はよそ者ではあるけれど、この東京に多少の縁はあるといっても許されるでしょう。だったらとりあえずはここで、自分の別の居場所を見つけていってもいいかなと考えているのです。その先に何があるのか(あるいはないのか)はまったく分からないですけど。

f:id:QianChong:20210329111256j:plain