インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

新札と熨斗袋

今朝の東京新聞に落語家の笑福亭たま氏が寄稿されていました(東京新聞はこうして週に一度伝統芸能欄があるから好き)。いわく、落語家の出演料は当日現金払いで、しかも新札で渡すのが礼儀と。

落語家が同業者に共演を頼む場合、いちばん大事なことは「相手に敬意を払う(気持ちよく仕事をしてもらう)」ことである。そのため「本来、貴方にはもっと高額なギャラをお渡ししなければならないのですが、私の精いっぱいの金額がこれなので、せめて新札に致しました」という誠意を表現しているのだ。

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へええ、そうなんですか。キャッシュレス化がどんどん進行する現代、ましてや笑福亭たま氏もおっしゃるようにコロナ禍で濃厚接触が忌避されている昨今。現金での報酬のやり取り、しかも新札で、なんて「ちょっと何言ってるかわからない」と思う方もいるかもしれません。でも、例えば結婚式なんかのご祝儀はお若い方でも新札を用意しますよね。私など、何十年も前にお稽古ごとをしていたときは、親が月謝袋に必ず新札を入れていたことを思い出します。

さすが現金信仰の根強い日本ならでは、なのかもしれません。他の国や文化圏にこうした新札=礼儀みたいな風俗習慣がはたして存在するんでしょうか。海外でお釣りを投げてよこされて、あるいはチップをぽーいっと放り投げててビックリしたという話は聞きますが、基本紙幣や硬貨は何かを手に入れるための価値の代替品だってのがそうした国の人々の認識であり、紙幣や貨幣そのものを押しいただいたり、ましてや新札にこだわったりする文化はあまりないんじゃないかと。

そう思ってネットで「新札 海外」などのキーワードで検索してみたら、なんと新札をありがたがる風習、ありました。ただしそれは偽札を警戒するとか、あまりに汚いお札は交換不可能になる可能性が高いので忌避されがちとか、そういう文脈ででした。上掲のような「相手への敬意を払うために新札を用いる」という文化は、海外にあるのかなあ。こんど留学生のみなさんや外国籍の同僚に聞いてみたいと思います。

かくいう私は、普段の暮らしのほとんどすべてがキャッシュレスになっていて、現金はめったに使いません。ときどき「うちは現金払いのみ」というお店に出くわすので数枚の紙幣はいつも財布に入っていますが。ただし、能のお稽古の月謝だけは毎回現金で、それももちろん新札で用意して手渡しです。私は銀行もすべてオンラインで、通帳というものを持っておらず、銀行の窓口に行くのは一年に一回あるかないかなのですが、それは手持ちの旧札を新札に変えてもらうためです。この先一年分か二年分ほどの月謝をまとめて新札にして引き出しに保管しているのです。

キャッシュレス化大賛成の私としてはかなり矛盾しているのですが、お稽古の月謝はなんとなく現金、それも新札で手渡しがいい……というかそこまでオンラインで振込みとかにしちゃうと、なにか大切なものが失われてしまうような気がするのです。いや、まったく説得力がありませんが。笑福亭たま氏は新札を手渡すことが「敬意の見える化」だと結論づけてらっしゃいますが、そういうところに愛おしさを感じるからこその伝統芸能じゃないか、とも思うのです。

お稽古の月謝はいつも簡素な「熨斗(のし)袋」に入れています。上掲の記事で笑福亭たま氏が手にされているようなものです。先日はその残りが少なくなってきたので、都内の某書画用品店に出向いて補充してきました。季節ごとにこういうのをあれこれ選ぶのも、無駄と言っちゃそれまでですけど(茶封筒でもいいかもしれません)、やっぱり何か大切なものがこもっているような気がするのです。

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稽古場でこうした月謝袋を手渡しするときには、正式には稽古扇を少し開いて、そこに熨斗袋を乗せ、そのまま相手に差し出すんですよ(と師匠に教わりました)。受け取った方は熨斗袋を収め、扇を閉じ、要の部分を相手に向けて返すのです。普段はここまで正式な方法を取らずに単に手渡ししていますが、いや、これもやっぱり大切なような気がします。次回からはそうしよう。せっかく熨斗袋や新札まで用意して臨んでいるのですから、こうなったらとことん伝統を楽しまなければと思うのです。

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