インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

教養の書

戸田山和久氏の『教養の書』を読みました。主な読者層としてはこれから大学で学び始めようとするお若い方が想定されている本のようですが、むしろ大学を出てからしばらく経って「ああ『学ぶ』ってひょっとしたらこういうことだったのかもしれない」と思い始めた人にこそ心にしみる内容ではないかと思いました。

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教養の書

私も心にしみた箇所がたくさんあったのですが、そのうちからひとつだけ。教養の持つ「自分をより大きな価値の尺度に照らして相対化できること」という側面についてです。戸田山氏は、人類が営々と積み重ねてきた無数の知的遺産によって、自分は今のこの時代に生かされているというその幸せの価値がわかること、それが教養だと言うのです。

そうなんですよね。歴史を学ぶことの意義はそこにこそあるのですし、あらゆる学問や芸術や技芸が先行研究や先人の達成を踏まえて行われるのも、そうやって積み重ねられてきた体系の中に自分をどう位置づけることができるのかを考えるからこそです。

もっと卑近な例でいけば、世の中の秩序を尊重しようとする態度、言いかえれば「公徳心」みたいなものも、同じく「自分をより大きな価値の尺度に照らして相対化できること」の現れかもしれません。教養ある人はポイ捨てなどしない(はず)です。世の中が自分中心に回っていないことを真に悟るための手段が教養なのだと思うのです。