インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

Windowsが世界標準になったことは人類の不幸だった

先日読んだこちらの記事。「PCよりMacの方が社員の生産性や満足度が高い」という内容で、思わず「その通り!」と叫んでしまいました。gigazine.net

私はパソコンの黎明期から(というか、その前のワープロ専用機から)PC、つまりWindows(一番最初はMS-DOS)を搭載したもの仕事で使い、やや遅れてMacも使いはじめ今に至っています。ほとんどの期間、PCとMacを同時並行で使い続けてきたのですが、その中で強く感じて来たのは「Windowsが世界標準になったことは、人類の不幸だった」という点です。

いや、Macだって最初の頃はずいぶん神経をすり減らされました。特に私が必要としていたマルチリンガル環境の構築においては、入力・出力ともに今から考えればとんでもないほどの労力が必要とされたものです。それでもMacはどんどん改良を重ね、使いやすい機械に成長していきました。現在ではほとんど自分の身体の一部と言っていいほどの使い勝手の良さに、ちょっとした幸福感を覚えるほどです。

それに引き換えWindowsのダメっぷりはどうでしょう。歴史に名を残す(悪い意味で)Vistaの教訓を活かしたのかどうかもあやしく、現在のWindows10に至ってもその使い勝手の悪さと、デザインの不在と、余計なおせっかいの多さに、あまり変化はないように思えます(カスタマイズできるとはいえ)。

パソコンはOSとハードで成り立っており、ハードが多数の企業によって提供されているという点がWindowsMacでは根本的に違うので、同列に論じるのは不公平かもしれませんが、誕生から三十年有余年を経てまだこのダメっぷりには驚かされます。どんな製品でも三十年経てばそれなりに洗練されるものではないですか。

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https://www.irasutoya.com/2017/07/blog-post_962.html

現在の職場では一律にWindows機が支給されており、音声や画像や動画を頻繁に使う私はほとんど仕事にならないので、個人のMacBookを持ち込んで使っています。本来なら個人の持ち出しなどありえないのですが、目の前に学生がいるので、悠長に改善を待っている暇はないのです。

仕事なんだから与えられた環境の範囲内でやればよいのだと、一時は支給されたWindows機だけで授業やその他の事務作業をやろうと試みたこともありました。でも、あまりの非効率さと生産性の悪さに、すぐ自分のMacBookに戻ってしまいました。

様々な国籍の非常勤の先生方からも「なぜこの学校はWindowsにこだわってるんですか?」とご自分のMacBookを開きながら聞かれる始末。いや、ホントになぜなんでしょうね。かつては「MacではマイクロソフトのOfficeなどが使えないから取引先との連携で支障が出る」などと言われたものですが、それから何十年も経っていまやそんな化石じみた懸念を呈する人は一人もいなくなったというのに、なぜ?

それでも私は学校に訴え続け、ついに来春からMacを支給してもらえることになりました。組織というのは、特に大きな組織になるほど変わりにくいものですが、ここまでくるのに約三年かかりました。ようやく仕事上の無駄なイライラから少しは開放されそうです。コスト的にはMacのほうがお高いですが、生産性や満足度の向上はそのコストを回収してあまりあるのではないかと思います。