インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「母語なんてちょろい」のか

先日のエントリで、「語学なんて『ちょろい』でしょ」という信憑について書きましたが、Twitterでは台湾の方からこんなリプライをいただきました。

本当に不思議ですね。外語がなかなかマスターできないというルサンチマン(うらみ・つらみ)なのか、本当に外語なんて「ちょろい」からいつでもマスターできると思ってる(でも今はまだ本気出してないだけ)のか……。

もとより外語は母語じゃないので、恐らく一生勉強しても母語なみになることはないと思います。いや、まあ母語なみに学んでしまう達人も世の中にはいらっしゃると思いますが、少なくとも私自身は真の意味での「バイリンガル」にはなれないでしょう。だとしても「学ぶに如かざるなり」なんですよね。あれこれ考えててもしょうがないんで。

これも以前、「『英語プアの日本人は、ますます下流化する』のだろうか」というエントリで、こんなことを書きました。

第二言語を真剣に学び、その習得の難しさを骨身に染みて分かっている人ほど、バイリンガルとかトライリンガルとかネイティブ並みとか「〇〇語がペラペラ」などという言葉は使わないものです。それは学べば学ぶほど,母語の大切さが分かるから。そして豊かな母語があるからこそ、自分はこの第二言語を学び続けて深めて行くことができるんだという確信みたいなものがあるからです。

ここでは要するに、「母語の豊かさが外語学習の伸びしろを担保する」ということが言いたかったんですけど、語学なんて「ちょろい」という考え方のベースには、外語のみならず母語に対しても「ちょろい」という態度が横たわっているのだと思います。

この件については、思想家・武道家の内田樹氏が、ご自身のブログに書かれていた文章に心底共感しています。枕元に置いて朝夕三読したいくらい。

「熟達した日本語の遣い手」というものがありうること、長期にわたる集中的な努力なしには、そのような境位に至り得ないことを人々は認めたがらない。


だが、もちろんそのような文化的環境は存在する。それによる言語運用能力の差異は歴然として存在する。


でも、それを認めない人たちは自分が用いる日本語を豊かなものにすることに何の関心も示さない。


英語を最小の学習努力で習得しようとする費用対効果志向と、日本語はもう十分できているので、あとは量的増大だけが課題だと高をくくっているマインドセットは根のところでは同じ一つのものである。


どちらも言語というものを舐めている。 


言語というのは「ちゃっちゃっと」手際よく習得すれば、労働市場における付加価値を高めてくれる技能の一種だと思っている。


そこには私たちが母語によっておのれの身体と心と外部世界を分節し、母語によって私たちの価値観も美意識も宇宙観までも作り込まれており、外国語の習得によってはじめて「母語の檻」から抜け出すことができるという言語の底深さに対する畏怖の念がない。言葉は恐ろしいものだという怯えがない。


言語を学ぶことについて (内田樹の研究室)

外語と母語について、なにより言語そのものについて、ここまで透徹した語り口でその本質をついた文章を他に知りません。だからこそ外語は小学生から全員がその習得に血道を上げなくていいと思うし、だけど必要な人はより一層真剣に習得に励む必要があると思うんですよね。ましてや、外語習得のために母語の涵養が疎かになるなんて本末転倒も甚だしいと思います。

余談ですけど、こちらもTwitterで拝見して、大爆笑したツイート。

大爆笑ですけど、「やがて悲しき」……というか、小さなお子さんを育ててらっしゃる親御さんに、ぜひ母語の大切さを再認識していただきたいと願わずにはいられません。

母語の大切さについては、台湾の作家・張曼娟氏がこんなことを語っています。動画の最後の部分(2:36あたりから)です。


就是當前世界有幾億人外國人,就是華人以外的人在學中文的時候,身為一個華人卻不學中文,是不是可惜? 每個人的價值觀不一樣。那有一些人可能覺得說,我就是覺得不可惜。那,但是如果我的話,我會覺得很可惜。所以如果我有孩子,我一定不會讓他放棄華文的學習。而且我會希望他的華文比跟他在同一個地區的人的華文都更好。因為我覺得現在會華文已經不是優勢。你的華文要比其他的人更好才是優勢。


いまや中国語圏以外の数億という外国人が中国語を学んでいるというのに、ひとりの華人として中国語を学ばないのは残念ではありませんか? 価値観は人それぞれですから「別に残念じゃない」と言う人がいるかもしれません。でも私は違います。私に子供がいれば、中国語の学習を怠らないようにさせるでしょう。しかもその中国語が、まわりの華人よりも優れたものであるよう望むでしょう。この時代にあって、中国語を話せることは強みではありせん。自らの中国語が人より優れていることこそ強みなのです。

これは青少年に対するメッセージの一部です。華人(チャイニーズ)らしい、功利主義的というかリアリズムあふれる物言いですけど、母語の大切さを説き、人々が母語なんて「ちょろい」と思い込んでいることに警鐘を鳴らす、作家ならではのメッセージだと思います。

通訳や翻訳の留学生クラスを担当するたびにこの動画を紹介して、「どう思う?」と感想を聞くようにしているんですけど、若い学生のみなさんからは「別に〜何も〜」という反応が多いですね。私など、一説には中国語母語話者が六割から七割を占めるとも言われている(日本国内なのに!)中国語通訳翻訳業界の末席に連なる者として、張曼娟氏の言葉を日々かみしめているんですけど。