インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「英語プアの日本人は、ますます下流化する」のだろうか

きのう東洋経済オンラインに載っていたこの記事、みんなが英語を習得したいと言いつつ、学習時間が圧倒的に少ないという主張には同感です。でも子供たちを英語漬けにし、他の教科まで英語で教えろとの主張には、ものすごい違和感があります。というかこの記事、リード部分で編集者(たぶん)が標榜している「日本人という確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になること」と、本文の内容との間には、ずいぶん乖離、ないしは温度差があります。たぶん筆者ご自身は「日本人たるアイデンティティ」になど重きを置いていないのではないかと思われます。

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筆者の問題意識は主に日本の英語教育の現状についてのものですが、それは例えばこのような危機感として表明されています。

しかし、実際問題として、これ以上、世界標準語となった英語を使えない国民が増えたらどうなるだろうか?日本は「極東郡日本村」として世界から取り残されてしまうに決まっている。

現在のグローバル経済では、英語教育こそ雇用対策である。インド人がグローバル経済の中で競争力があるのは英語のおかげが大きい。フィリンピンは世界有数の労働輸出国だが、それはフィリピン人は英語ができるので、世界のどこでも働けるからだ。

グローバル経済における競争力とは何でしょうか。豊かな日本語の涵養と日本文化への理解はそこそにしておいて、全国民がとにかく英語を身につけ、英語でインプット・アウトプットができるようにすることでしょうか。近い将来、若者の大半が英語を基軸にした「グローバル企業」に就職するようになる、できるとでもいうのでしょうか。

日本がアメリカになってどうするんですか。私はむしろどこにも似ない独自の存在である方がいいと思うのですが。それにこの国には日本語を使って成すべき多くの仕事があり、その仕事を享受すべき多くの人々がいます。すべての産業があまねくグローバル化するわけではないし、できない。都会のグローバル志向の大企業目線だけでは道を誤ると思います。

筆者もおっしゃるように、第二言語の習得には膨大な時間が必要です。日本人の大多数が、その人生のかなりの部分を英語(やその他の語学)に捧げてしまっていいのでしょうか。この国には日本語だけでいいから若い人に引き継いでもらいたい仕事がたくさんあります。伝統的な産業しかり、これから深刻化する高齢者関係産業しかり。全員が英語をはじめとする語学に血道を上げなくてもいいと思います。

師匠から伺った話ですが、例えば足袋を作る職人さんは後継者がいなくて、受け継がれてきた技術が途絶えかかっているそうです。扇を作る職人さんも、後継者はいても発注自体が減っているので製作の頻度が落ち、技術を修練して次に伝えるだけの十分な仕事が確保できなくなりつつあるとか(こちらの記事)。そういった商品は競争力がないのだ、市場は需要と供給で決まるのだから、グローバル経済になじまない商品や技術は滅びても仕方がないし、何ならそういう商品はユニクロを見習って人件費の安い海外にアウトソーシングしたらどうか……とでもいうのでしょうか。

伝統工芸品の世界だけではなく、もっと日常的な分野でも、英語など使えなくても構わないから豊かな日本語を使って行われるべき仕事はたくさんあるんです。英語やその他の外語を使って世界を飛び回る人もある程度は必要ですが、それと同じかそれとは比べものにならないほど多くの人が日本語で仕事をしています。今も、これからも。医療も、介護も、食糧生産も、公共サービスも、建築も、インフラ整備・保守・管理も、治安も……。

単一の言語で社会を成熟させていくことができる日本はとても幸せです。侵略や植民地統治の結果、土着の言葉だけはなく英語もかなりのウェイトで使わざるを得なくなったインドやフィリピンなどの国々。それが今やグローバル経済で英語が話せるというアドバンテージに変わったから、そこに日本も学んで同一化すべきと本当に考えているんでしょうか。海外の安い労働力を使ってありとあらゆるものを生産させ、何なら移民を大胆に奨励してあまたの職業を外国人に担ってもらおうと、本気で?

国民国家が徐々に解体しつつあることは認めますが、だからといって来年一気に世界のグローバル化が完了するわけでもありません。何十年というスパンで物事を見るべきだし、その間にも私たちは働いて食べて生きていかなければならないのです。

ご自身の娘さんを日英中のトライリンガルに育てたとおっしゃる筆者はまた、こうも書かれています。

日本の若い世代全体が英語のバイリンガルになったことを想像してみてほしい。ほとんどの識者や評論家、コメンテーターなどは不必要になる。なぜなら、英語がわかれば、ハリウッド映画でも海外ニュースでもそのまま理解できる。英語の雑誌、本をそのまま読める。とすると、テレビや本でエラソーなことを言っている彼らの解説やコメントを聞かなくともよくなるだろう。

バイリンガルやトライリンガルというものが、一体どのくらいの言語能力の獲得を前提にしているのかは漠然としていますが(Wikipedia参照)、確かに世界には生まれついた環境でそうなる方も大勢います。でもそれは多くの場合母語がとても弱い立場にあったからだと思います。日本語のように巨大な言語(億単位で話者がいる言語は少ないです)環境の場合は難しいし、下手に目指すとかえって悲惨な結果を招きます。

もちろん、親が細心の注意を払って母語のベースをしっかり固めつつ、英語なり中国語なりをかなりのレベルで教育した素晴らしい例を私も知っています。でもそんな生活環境と親の教育方法と本人の言語能力が極めて理想的な形で結実した成功例ばかりではありません。逆に無計画に二重三重の言語環境に子供を置いて、いわゆるセミリンガル(ダブル・リミテッド)に育ち、本人が深く悩むというケースにも私はたくさん接してきました*1。本人も、どうすればよいのか分からないのです。そしてこと言語に関する限り、一朝一夕に改善できる方法などないのです。ほとんど取り返しがつかないと言ってもいい。言語の獲得期にある子供の言語環境については慎重たるべきと思います。

人間誰しも易きに流れがちです。中途半端に二つの言語を習得すると、どちらもそれなりに意思疎通はできて「それでいいじゃん」となりがちです。どちらの言語もおしゃべり止まりで、抽象的な思考や深い教養の獲得や幅広いものの見方考え方が苦手になる可能性があります。そこを超えて自分を客観的に見据え、より深く研鑽を積むためには豊かな母語が必要です。母語は単なる道具ではなく、人格そのものなのです。

第二言語を真剣に学び、その習得の難しさを骨身に染みて分かっている人ほど、バイリンガルとかトライリンガルとかネイティブ並みとか「〇〇語がペラペラ」などという言葉は使わないものです。それは学べば学ぶほど,母語の大切さが分かるから。そして豊かな母語があるからこそ、自分はこの第二言語を学び続けて深めて行くことができるんだという確信みたいなものがあるからです。

何だか大上段に構えすぎました。でも、総じてこの記事の基調である「日本人のアイデンティティを持って英語で発信できる人間を育てる」という、その実効性がはなはだ疑問だと感じました。母語のベースを疎かにして子供に英語をたたき込めば、その子は日本人としてのアイデンティティなど軽々とパスして、英語で考え英語で発信するんじゃないかなあ。その方が効率的でグローバルだもの。

*1:こちらにもエントリを上げています。