インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「〜を食べさせる店」をめぐって

「食べさせる(食わせる)」という言い方がありますね。「親が子供にご飯を食べさせる」という単なる使役ではなくて、「あの店は旨い魚を食べさせる」みたいな言い方です。なぜか私はこの後者の言い方が昔から苦手で、耳にするたびになんとも言えない嫌な気持ちになります。私が子供の頃、父親がよく言っていて違和感を覚えていたのですが、現在でも妻がよく言うので「旨い魚が食べられる」くらいでいいんじゃない? ……とちょっとした険悪な雰囲気になります。

こういう、どうしても生理的になじまない言い方ってあるんですよね。例えば私にとっては「生き様」もそのひとつです。でも、「生理的になじまない」といった感覚的な好悪ではなく、もっと日本語の成り立ちや文法的に腑に落ちる説明はないかなと思ってネットを検索してみたら、はたして同じようなことを議論されている方々がいました。

q.hatena.ne.jp

こちらでは「店側が客に『食べさせる』という上から目線で強制的、高圧的な表現」と最初に定義されています。なるほど、強制的で高圧的なのは確かに嫌ですね。そして「食べさせる」よりも前にたぶん「食わせる」があって、粗野な感じがする「食わせる」なら強制的・高圧的なのももっともだけれど、「食べさせる」と上品になった使役形がこの文脈(店側が客に)で使われると、「逆に押しつけがましさが出てくるように思われます」と書かれています。

また「『なかなか食べ応えのあるものを出しやがる』という評論家目線的な言い方になります」というご指摘が面白いと思いました。この感覚は上述した私の語感に近いです。

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『美味しんぼ』第五巻「牛なべの味」より。

さらに「『とれたての新鮮な野菜を食べさせてくれる店』はもてなされている感じで日常的に言うと思います」とおっしゃっているのも興味深かったです。なぜなら私はその比較として用いられている「とれたての新鮮な野菜を食べさせる店」はもちろん、この「食べさせてくれる店」もやはり違和感があって苦手だからです。「とれたての新鮮な野菜が食べられる店」でいいと思っちゃう。

なぜ私はこうした言い方が苦手なのでしょうか。上掲の議論に見るように「〜させる」という半ば強制的な感じがするからかなとも思うのですが、たぶん私はこの言い方に伏流している(と私が感じてしまう)体育会系的でホモソーシャルな雰囲気が苦手なんだと思います。飲食店のオヤジがこだわりの一品を「いいからこれ食ってみろ」的に出して、半可通な客が有難がって食う……みたいな。ほとんど言いがかりみたいなものですけど。