インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ふたたび天丼

所用で銀座に出たおり、またまた天丼を食べました。ちょっと贅沢です。行ったのは天國という天ぷら屋さんですが、ここに来るのも本当に久しぶりです。以前来たのは何年前だったでしょうか。もともとは銀座の大通りに面した、博品館のお向かいにお店があったのですが、そこから数本隔てた通りに引っ越ししていました。

ここの天丼にも穴子が入っていて大好きなのです。どんぶりの蓋をのせて提供されるのが昔ふうでまた好みです。最近は盛りが派手な天丼が流行しているみたいで、蓋をのせない(のせられない)お店が多いんですよね。

穴子とエビと、さいの目に切ったイカかき揚げと、ししとうになす。内田百閒氏の『大人片傳』(百鬼園随筆所収)に出てくる文章みたいに「暫らく振りに天丼を食う。初の二口三口は前後左右の物音も聞こえなくなる程うまい」です。ただ、以前はまったく意識しなかったのですが、やっぱり天つゆは私にはからすぎるなあと思いました。というか、こちらのお店の味は変わっておらず、私の味覚が変わったのです。歳を取って、本当にこういう江戸前の濃い味がつらくなりました。

天國は銀座八丁目、つまりいちばん新橋寄りにあるお店ですが、新橋で天丼と言えば「橋善」を思い出します。もうずいぶん前に突然閉店してしまったのですが、巨大なかき揚げがのった天丼が名物で、何度も食べに行きました。でもあの天丼も、もしいま食べたらなら、たぶん味的にも量的にも私の手に(というか胃袋に)は余るでしょうね。

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久しぶりに天丼を食べながら、ちょっとしみじみした気分になってしまいました。内田百閒氏は上に引いたくだりに続けて、こう書いています。

しかし凡そ半分位も食い終わると、又いろいろ外の事を考え出す。御飯が丼の底まで汁でぬれている。天丼と云うものは、犬か猫の食うものを間違えて、人間の前に持ち出したのだろう。ああ情けないものを食った。明日からは、もう何も食うまい。腹がへったら、水でも飲んでいようと考える。

この部分、以前は天丼という「下卑た」食べ物についての感慨とだけ受け止めていたのですが、壮年にいたって油や味の強さにも負けつつある百鬼園先生の悲哀が含まれていたのかもしれないな、といまにして思います。