インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

深呼吸だけでいい

人前で話す時の緊張を和らげる「おまじない」として「聴衆をカボチャと思え」とか「人という字を手のひらに書いて呑め」とか言います。先日同僚のアメリカ人講師と話していて、英語には“Just picture everybody naked”というのがあると教わりました。目の前にいるのは「裸」の人たちだと思えということですか。いや“naked”は「裸」というより、聴衆も自分と同じように無防備で弱い人間なんだよ、だから心配しなくていいよ、と言っているのかな。

中国語では“把聽衆當成蘿蔔白菜”というのを見たことがあります。「聴衆を大根や白菜と思え」ということですね。ただこれも同僚の中国人講師に聞いてみたら、確かにそういう表現はあるけれど、それほど人口に膾炙しているというわけでもない、とのことでした。日本語の「カボチャ」(ジャガイモもありますね)も、それほど昔からあった慣用句ではないように思います。いずれも近代になってから、日常生活にあるありふれた野菜を人に見立てて、相手も自分と同じ人間だから必要以上に怖がらなくていいという戒めなんでしょう。その意味では英語の“naked”と同じです。

私はもう何十年も人前で話す仕事をしてきたので、人前に立つとき緊張などしない……かというと、それがやはり緊張します。毎日の授業でも、始まる前はどこか緊張していて「失敗したらどうしよう」という気持ちがよぎる瞬間が必ず訪れます。良くも悪くも経験を重ねてそれなりに「手慣れて」きたので、それほど手ひどい失敗をすることはないと思っているのですが、それでもやっぱり緊張はするのです。

しかしまあ、そうやっていつまでも多少の緊張感を持って人前に出て話すというのは、悪いことではありません。まったく緊張しなくなったら、逆にマンネリ化・陳腐化していると自分を戒めた方がいいでしょう。

あと、あまり緊張しなくなったのは、話し手であるこちらの言うことが、聞き手にすべて伝わるわけでもないし、ましてや聞き手をどうこうできるというものでもない(そう考えるのは傲慢だ)と思えるようになったからです。さらに言えば、聞き手も時にけっこう手を抜いて聞いている(失礼)ことも分かったから。要するに、話し手と聞き手が向き合うその場所と時間だけで、100パーセントのコミュニケーションを成立させなくていい、というかそんなの成立し得ないということがだんだん分かってきたという感じでしょうか。

聞いているときにはピンとこなくても、ずいぶん後になってから「じわっ」と染みてくることや、ふと思い出されるようなこともあります。また、話している最中に、話す前には想像もできなかった展開になっちゃうということもある。つまりは、話す前に100パーセントのコミュニケーションをイメージして、その成否を心配するあまり緊張する……ということ自体が、あまり意味がないことだと分かってきたのです。

中国人はよく、他人の緊張を鎮めてあげようとするときに“深呼吸吧!(深呼吸して!)”と言います。“蘿蔔白菜”よりよほど頻繁に使われる言い方です。私たちも、人前で話すときにはまず深呼吸。それだけでいいのかもしれません。

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