インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

こまやかな中国語に憧れる

昨日は通訳学校秋学期の最後の授業日でした。この学校では最終日に、これまでの訓練の総仕上げとして外部から専門家をお招きして講演を行っていただき、その内容を通訳するという実習が行われます。昨日の講師は、中国の大学を卒業されたあと日本の大学院で学び、日本の大手化学会社に就職して研究員をされている方でした。

こうした講演会を華人(中国語圏の方々)にお願いしていつも感じることなんですけど、中国語が本当に流暢です。中国語母語話者なんだから当たり前でしょ、と思われるでしょうか。それはまあそうなんですけど、いくらその言語が母語であっても、人前で話す際の巧拙というものはあります。それは私たち日本語母語話者が日本語で話す際も同じであることは容易に想像できますよね。

中国語が流暢というのはつまり、話の内容がロジカルで理路整然としていて分かりやすく、冗語(「えー」とか「あー」とか「そのー」といった不必要な言葉)がほとんどなく、それでいてなるべく平易な言葉を用いて専門的な内容を語り、さらにはユーモアや笑いのセンスも含まれている……ということです。中国語の非母語話者である私のような人間からすれば、ああ、いつかこんな話し方ができるようになったらいいな、でも一生ムリかもしれないと、ただただ惚れ惚れとするような話し方なのです。いや、中国語ネイティブだって憧れる話し方に違いありません。

聴いていてここまで心地よい中国語ですから、生徒のみなさんも張り切って訳していました。そう、話し手の話し方が優れていると、通訳者もノッてくるというか燃えるんですよね。「この素晴らしい内容をぜひお伝えしたい!」とアドレナリンが分泌されるのです。逆に「言語明瞭意味不明」どころか「言語曖昧意味不明」などこかの政治家のような話し方だと、たちまち気持ちが萎えます。

それに普段の録音や録画の教材ではなく生身の人間が話していると、普段の何倍もよく聴き取れるし深い理解ができるような気がします。だから本当は毎回こうして講師をお招きして授業ができればいいんですけど、まあ予算の問題やらなにやらでそれはムリでしょうね。それに講師の先生だって、講演の目的が自分の話を聞きたいのではなくて通訳訓練のためだとなると、内心ちょっと面白くないんじゃないでしょうか。だからこうした実習もその位置づけというかセッティングにはけっこう気を使います。

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https://www.irasutoya.com/2015/04/blog-post_892.html

それはさておき、この講演会形式の実習では、最後にかならずQ&Aを設けています。会場から質問を出してもらい、それを通訳し、講師の先生の答えをまた通訳し返す。予習の資料には出てこなかった話題に及ぶことも多いので、いちばん緊張する場面です。昨日は中国語による講演で、講師の先生は日本語がわからないという設定(本当は堪能)でしたので、会場から日本語で質問を出し、それを中国語に訳すという訓練になりました。

生徒さんは日本語母語と中国語母語がちょうど半々でしたが、そのみなさんが訳す中国語で若干の違和感を覚える場面がいくつかありました。中国語の母語話者でもない私がこんなことを言うのもおこがましいのですが。例えば、講師の先生にどう呼びかけるか。中国語で“○○先生(xiānshēng)”と言っている方がいましたが、私の語感からすると初対面の講師に“先生”はちょっと馴れ馴れしい感じがします。無難なところではやはり“老師(lǎoshī)”でしょうか。もしくは、昨日の講師は博士号をお持ちの方でしたから“博士(bóshì)”かな。

また会場からの質問、例えば「〇〇について教えて下さい」とか「〇〇についてどうお考えですか」といった部分を“請您說明一下”とか“請您解釋一下”と訳していたのも(まあこれは言い方の語調や雰囲気も絡んできますが)若干の詰問調というか押し付けがましい雰囲気が感じられてひやひやしました。もっといろいろな、例えば“您的看法是如何?”みたいなより押し付けがましくない言い方があるのではないかと。

これは私自身これまでいろいろと「やらかし」てきて、そのたびに中国語ネイティブ(上司や友人など)から指摘されたことなのですが、いくら“你(あなた)”よりていねいな“您”を使ったり、「プリーズ」にあたる“請”を入れたり、「〜してください」的あるいは「ちょっと」ということで相手の負担を下げる働きのある“一下”を加えたりしても、全体としてはやはり押し付けがましくてあまり上品ではないということはあり得ます。

世間には「中国語には敬語がない」などという暴論をものす方がいますけど(中国語ネイティブにもいる!)、とんでもない誤解だと思います。日本語のようにわかりやすい形で現れていないだけで、相手を敬ったり、こちらがへりくだったり、角が立たないアプローチだったり、押し付けがましくない言い方だったりはたくさんあります。そう、上述したような“您”や“請”や“一下”などのアイテムを足す(このあたりは日本語的発想と言えるかも)方法だけではなく、もっと繊細なところで敬語的な表現をすることができると思うのです。

以前にも書いたことですが、かつて私が友人に意見を求めたときに“請把您的意見告訴我好嗎?(あなたの意見を言ってくれませんか)”と、まあかなり生硬な中国語でお願いしたことがありました。そうしたらその友人は「私だったら“我很想聽聽您的意見(あなたの意見がとっても聞きたいな)”とでも言うかな」と指摘してくれたのです。

“請把您的意見告訴我好嗎?”は確かに“請”も“您”も使っているし、最後に“好嗎(いいですか)”を加えて押し付けがましさを消そうと努力している。でも全体としてはやはり「あなたの意見を私に言ってくれ」という要求なんですね。ベクトルが相手から私に向きすぎている。それに対して“我很想聽聽您的意見”は、単に「私が意見を聞きたいな〜」と思っているだけであって、相手に対する押し付けがましさがほとんどありません。「意見を言いたくないなら言わなくてもいいよ」という気遣いが感じられます。さらには「あなたは私が意見を傾聴すべき存在なんです」という相手を立てている意識すら感じられるかもしれません(もちろんこれも、言い方の問題ではあるのですが)。

中国語にはこういう、本当に繊細なところで人と人との機微を感じさせるような表現がたくさんあります。そこに私はとても惹かれますし、冒頭でご紹介したような「中国語の流暢な華人」にはそういう機微が十分に感じられて、聴いているこちらも心地よくなってしまうのです。あああ、そういう中国語を話すことができたら本当に素敵なんですけど。まあ死ぬまで到達できないかもしれないけれど、これからも少しずつ学んでいくしかないですね。

とりあえず、かつてお世話になった『说什么和怎么说――意図と場面による中国語表現 上級編――』(朋友書店)をもう一度復習してみようかしら。この教科書はとても古いので、そのぶん今となってはかなり古めかしい言い方も含まれているのですが、知識人のさまざまなシチュエーションにおける言い方のパターンが載っていて、なおかつよりフォーマルな表現には「+」、うちとけた雰囲気には「−」の記号がつけてあったりして、とても勉強になるのです。

“每堂课的较为理想的时间分配最好是七三开,学生多说,教师少说(各授業時間ごとののぞましい時間配分は7:3として、学習者が多く話し、教授者は少なく話すようにすることである)”といった、教える立場の方にとっても目のさめるような指摘もいろいろと詰まっています。

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CiNii 図書 - 说什么和怎么说

この本はもう絶版だと思います(ネットを探せばあるかも)が、こういう、中国語の敬語表現について様々なパターンを練習できる教材、それも現代の状況に即した新しい教材があったらいいな。学生さんはとかく「教科書的」な表現を嫌がり、「もっとカジュアルな、友達同士で話しているようにフレンドリーな表現を知りたい」といい、SNSなどでもやたらくだけた表現を使いたがるのですが、私は逆にもっとフォーマルな表現を学びたいなあと思います。