インタプリタかなくぎ流

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本当の翻訳の話をしよう

村上春樹氏と柴田元幸氏の『本当の翻訳の話をしよう』を読みました。雑誌『MONKEY』に掲載された、小説(なかでもアメリカ近現代の)や翻訳に関する対談を収めた一冊です。本のタイトルはティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう 』へのオマージュですね。

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本当の翻訳の話をしよう

いくつかの対談はすでに雑誌で拝見していたのですが、こうやってあらためて読んでみると、お二人ともアメリカ文学が本当にお好きなんだなあ、そして翻訳という作業が何よりお好きなんだなあと、その思いが伝わってきます。だからアメリカ文学とその翻訳に関して対談している部分は、ほとんどオタクというかマニアというか、あまりに細かくかつディープな話題で盛り上がっていて*1、それほど詳しくない人間からするとちょいと「おいてけぼり」をくわされている感じもします。それでも話がアメリカの社会や近現代の歴史にも及ぶので興味深いことこの上ないのですが。

私は海外文学の忠実なファンとはとても言えない、つまりそれほど多くを読んでいないので、こうしたアメリカ文学の作品論や作家論的なところにはあまり入り込めませんでした。でもそのかわりに「日本翻訳史 明治編」と題された、日本における文芸翻訳の黎明期、今とはかなり異なる翻訳のあり方を縷々紹介している部分は身を乗り出すようにして読みました。

鴻巣友季子氏の『明治大正 翻訳ワンダーランド』でも紹介されていた森田思軒や黒岩涙香、さらには坪内逍遙二葉亭四迷森鷗外らの訳業についても、原文も引きながら解説されています。鴻巣氏の本では、かの『フランダースの犬』の初訳(日高善一訳)でパトラッシュは「斑(ぶち)」でネルロは「清(きよし)」と訳されていたなど、現代とはずいぶん異なる翻訳のありようが面白かったのですが、この柴田元幸氏の論考でも明治期の翻訳には「いろんな選択肢があった」として黎明期ならではの試行錯誤があれこれ参照できて楽しいです。

浄瑠璃調シェークスピア

中でも面白かったのが、坪内逍遙の手になるシェークスピアジュリアス・シーザー』の翻訳です。小見出しには「江戸を引きずっていた翻訳」とあるのですが、その前書きで坪内逍遙自身が「今此国の人の為めにわざと院本体に訳せしかば(日本の読者のことを考えて、浄瑠璃っぽく訳しました)」とことわっているように、文体の雰囲気がまるで浄瑠璃、あるいは歌舞伎か文楽の世界なのです。個人的には能楽の謡本を読んでいるような気分になりました。例えば、こんな感じです(舞婁多須・軻志亜須は、それぞれブルータス・カシアス)。

公園前の大街頭、群る府民、蜂のごとく、舞婁多須、軻志亜須の前後を囲み、騒ぎ立ちて声々に、(府民)名聞聞かん。主意を聞かん。殿下を殺せし所以をば、承らんと罵る声、さながら広き羅馬府の、百万の家一時に、崩るゝ許りに騒がしき。舞婁多須は声はりあげ、(舞)然らば人々某が、所以逐一公演台に、只今演説致すべければ、いざとく我に随ひこられよ。イヤナニ軻志亜須氏、足下は彼方の街頭にて、処をかへて演説あれ。……

声に出して読んでみると、まんま能楽の謡本です。しかも戯曲だから(府民)とか(舞=ブルータス)などと誰の台詞であるのかの指定がありますが、これも謡曲にある「同音(地謡)」や「シテ(主人公)」といった指定にそっくり。幕末から明治初年は能楽が衰退して大変な時期にあったわけですが、元は武家の式楽であった能楽謡曲が広く庶民にも親しまれていたという江戸時代のバックグラウンドがあったからこそ、明治に入って西洋の文物がどっと翻訳され始めた時にもそれが地続きで引き継がれていったのかなあなどと想像しました。もっとも翻訳の文体はこのあとほどなく「言文一致」によって大きく変化していくことになるのですが。

翻訳の「心得」

「翻訳王」とも称された森田思軒は翻訳の「心得」を四つの原則にまとめており、それもこの章で紹介されています。これも中国近代翻訳論の祖ともいえる厳復の「信・達・雅」を彷彿とさせ、興味深い。森田思軒は漢文の素養もあった人だそうで(この時代の文学者はおおむねそうでしょうけど)、西洋の文物を翻訳する際に中国、あるいは漢語の存在が大きかったという点も指摘されています。特に面白いと思ったのは森田思軒が坪内逍遙にあてた手紙で、『マクベス』の坪内逍遙訳を賞賛したくだりについて、こんなことが書かれています。

訳の難きは、其の一辞一句に就て之を邦語に翻へすの難きにあらず、唯だ同じ意味ながら、斯辞斯句が、斯の場合に於る気勢と声調とには将た孰づれの邦語か最も之に称なふべきやを判断するの難きなり。其の一辞一句を善修するの難きに非ず、其の一辞一句が如何にせば一章と諧和し、一篇と好合し、承上起下、撇開推拓、転折過渡、皆な渾然自然にして……

この部分、柴田元幸氏は「漢語が難しいですね」とおっしゃっており、特にこの「承上起下、撇開推拓、転折過渡」の部分など「サッパリわかりません」として、この文章が収められた加藤周一丸山眞男篇の『翻訳の思想』でも「不詳」との註があることが紹介されているのですが、これ、中国語を学んだ方なら比較的容易に理解できそうじゃありませんか? 要するに「文章の前後のつながりに留意しながら、時に大胆に意味を押し広げ、あるいは別の意味へと発展させる」という感じでしょうか。そのいずれの方法もみんな「渾然自然」でなければならないと。

単なる素人の感慨ですけど、こういう文章に接するたびに、中国語と日本語の長きにわたる深い関わりと、漢籍の素養があったがゆえに西洋の言葉を日本語に移植できた明治の先人のすごさ、そして中近世と近現代の日本語には断絶があるようで実は連綿と受け継がれているものが確かにあることを感じて、うれしくなります。さらには言語的にはまったく異なるにもかかわらず、ここまで深い関係を切り結んできた中国語と日本語の奇跡的なありようについてもある種の感動を覚えるのです。こういう感動を味わえるのもまた、中国語を学ぶ小さな「余禄」なのかもしれません。

*1:特に冒頭に収められた、古典の新訳・復刊に関する「帰れ、あの翻訳」では、紙面の下半分が膨大な註で占められていて、わははは、読みにくいったらありゃしません。