インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

『やがて哀しき外国語』(村上春樹/講談社文庫/1997年)を読む。言わずと知れたプリンストン滞在記。実はこれまで部分的にしか読んだことがなくて、今回初めて通読した。非常に面白くて、一気に読み終える。
翻訳について、外国語について、外国での生活について、そして日本について。いろんなことを考えさせられた。自分が大陸の大学に留学していたときに感じていたのと同じようなことも書いてあって、懐かしい気持ちにもなった。この間詩人の伊藤比呂美氏の話を書いた(id:QianChong:20040527)が、同じような感慨が紹介されていて面白かった。

でも僕はこの大学ではまあゲストのような存在だし、作家だからということで、いろんなことは大目に見てもらっているようだ。大学社会のヒエラルキーからはちょっと外れた存在なので、生活態度が多少インコレクトでも「まあ、あの人は作家だから」と許されるところがある。

「大学村スノビズムの興亡」

それと村上春樹氏が大好きなマラソンへの参加に関連して、ボランティアによる温もりのある大会運営方法について述べられているところがあった。これも先日ボランティアに関して書いた(id:QianChong:20040526#p2)ところだったので、id:suikanさんがおっしゃっていた「積極参加という文化背景」というのはこういうことかな、と少々認識を新たにした。

アメリカのレースを走って僕がいつも感じるのは、「手作り」「草の根」の味わいのようなものである。それらのレースの多くはそれぞれの地域の小さなコミュニティーによって運営されているし、レースの基本的な目的は地域住民の健康的な生活の増進に寄与することにある。(中略)
運営にあたっているのはみんな自発的に集まったヴォランティアの人たちだし、走っていてもいかにも「風通しがいい」という感じがする。気負いもなく、あくまで日常の延長という感じで楽しんく走ることができる。

「アメリカで走ること、日本で走ること」

私が以前関わっていた数々のボランティアや市民団体はあまり風通しがよくなかった。気負いばかり先に立ち、とても非日常な雰囲気だったと思う。もちろんそれは、関わる自分の側に問題があったのだろうけど。