インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

スマホ脳

教室で、若い学生さんたちを見ていると、いろいろなことに気づきます。学生さん(私の場合は外国人留学生)は全員スマホを持っているのですが、授業中にスマホを使い倒しています。私が担当しているのは通訳や翻訳や語学の授業で、その際には辞書を引いたり調べ物をしたりが必須です。でも最近の学生さんは「紙の辞書」はもちろん、語学専用の電子辞書さえ持っている人はまずおらず、ほぼ全員がスマホを辞書代わりにしています。ところが、その辞書の引き方がとても特徴的なのです。

その特徴をひとことで言えば「自分の頭で考えない」です。学生さんを観察していると「わからない→即スマホで検索」がほとんど条件反射のようになっており、いったん立ち止まって自分の頭で「これはなんだろう?」と考えることがないようなのです。

例えば文章の中に知らない単語があると、その単語がどういう意味か文章の前後から類推してみるとか、自分のこれまでの知識の中に似たような言葉があったかどうか思い出してみる……といったことは一切せず「即スマホで検索」する。しかもサーチエンジンや辞書アプリなどで最初にヒットした情報のみを採用して、第二候補や第三候補を検討したり、検索結果が間違っている可能性を考慮したりしない。

せめて検索して得られた結果を他の辞書でも確かめてみるとか、Googleでそのコロケーションがよく使われるものなのかどうか「裏を取ってみる」とかしてくれればよいのですが、ほとんどの学生さんは検索結果をほぼ無批判かつ無防備に採用します。その結果、大きな誤読をしたり、奇妙な解釈を押し通したり、大時代的な表現がいきなり現れたりするのです。そしてなぜこの結果に到ったのかを聞いてみると「ネットにそうありました」とだけ答えが帰ってくる……。

ここまでネットの、それも上位の検索結果ばかり無防備に信じてしまうことが徹底されていれば、そりゃフェイクニュース陰謀論も拡散し放題だろうなあと思わざるをえません。それにしてもこの「自分の頭で考えない」ことの徹底はどんな合理性に基づいているのだろうと思っていたところ、たまたま読んだアンデシュ・ハンセン氏の『スマホ脳』に興味深い記述がありました。

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スマホ脳(新潮新書)

それは「グーグル効果」とか「デジタル性健忘」と呼ばれるもので、「別の場所に保存されているからと、脳が自分では覚えようとしない現象」だそうです。なるほど、学生さんたちが「自分の頭で考えない」ことの背景には、どうせネットに答えはあるのだから、いったん立ち止まって考えるなど時間のムダで、さっさと検索して答えを確かめればよい、というスタンスがあるのかもしれません。わずかここ十年あまりの間に、私たちの生活に急速に根付いた「スマホで検索」という生活スタイルは、自分の思考を自分の脳からネットへ移譲することにつながったということでしょうか。

知識は身につけるものではなく、ネットで検索するもの。これは案外多くの人々に信奉されているようです。でもそれは、言い換えれば「自分の頭で考える」ことを放棄することに近いと思います(検索にも技術は必要で、その際に自分の頭で考えている可能性は残されますが)。ネットが巨大な集合知であることは間違いなく、私も日々その末端で恩恵を受けています。でもその利用の仕方には注意が必要で、「自分の頭で考える」ことだけは絶対に自分の側に引き止めておかなくてはならないと思うのです。

スマホ脳』は人類の進化から脳の働きを説き起こすことに始まり、ストレス、SNSの中毒性、メンタルヘルスや睡眠に与える影響、いわゆる「注意経済」の問題、対抗措置としての「体を動かすこと」など、個人的にはここ数年考え続けてきたことがまるでこの一冊に収斂していくような内容で、読んでいてとても興奮しました。と同時に、このままスマホやネットへの依存が続いていった先にどんな事が起こるのかと恐怖も覚えました。巻末の具体的なアドバイスは、本書の内容を踏まえていてとても説得力があります。翻訳者の久山葉子氏がおっしゃるように「人生のバイブル」になる一冊だと思います。

qianchong.hatenablog.com
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