インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

どんぶり勘定人間への福音

仕事の帰りに日暮里のエキュートにある本屋さんに立ち寄ったら、『正しい家計管理』という本が目に留まりました。帯には「どんぶり勘定は低収入より恐ろしい」とあります。何という秀逸な惹句。「割れ鍋に綴じ蓋」ならぬ「どんぶりにどんぶり」な私たち夫婦にとっては必見の書と、即買い求めました。


正しい家計管理

読み始めてから気がつきましたが、林氏はベストセラーになった『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』の著者だったんですね。同書は立ち読み+マンガ版でぱらぱらと読みましたが、氏のご本をじっくり読んだのは初めてでした。

一読、素晴らしい本でした。この本に従って簡単な財産目録と収支実績表と特別支出予測表を作るだけでも、家計の現状が一目瞭然。私のようなどんぶり勘定人間には特に効きます。ボンヤリと意識していた収支がクリアになり、仕事への活力がわきます。同時に、様々な無駄な支出もクリアに浮かび上がってきます。

林氏の主張で素晴らしいのは、家計管理は「家計簿」をつけて「節約」することがその本義ではないと喝破しているところ。それは後づけの言わば後退戦だと。そうではなくて、企業のような倒産が絶対に許されない家庭の家計にこそ、実は会社経営のような考え方が必要だと。どんぶり勘定人間はそこから逃げてたんですね。

世の中カネじゃないよ、俺はカネに振り回されないぜと吹聴し、宵越しの金は持たねえと威勢のいい啖呵を切りつつ、その実いつも漠然としたお金の不安がつきまとっている「月光族」な方々には福音になるかもしれない本だと思います。あ、「月光族」は中国語ですが、もう古い言葉になっちゃったかもしれません。
参考:http://matome.naver.jp/odai/2139915898315939301

どんぶり勘定人間って、「んな、財産目録とか収支実績とか、大袈裟な。だいたい俺、財産なんてほとんどないから書き出すまでもないし」と思ってるんですよね。私がまさにそれでした。でも騙されたつもりで虚心坦懐に一つ一つ表を埋めてみた効果は抜群でした。分かったつもりと可視化することの差はあまりにも大きいということです。

お金って、特に今の時代はキャッシュレス化が進んでいて、可視化がしにくいんですよね。家計の現状を把握し見直すことは、言わば家計の「断捨離」なんですけど、モノの断捨離と違って目に見えにくいうえに流動性があるので、ずぼらな人間はすぐ投げ出しちゃう。でもこの本で考え方が変わりました。

ハッキリ言って地味な本ですから、「キャリアポルノ」みたいな高揚感は期待しない方がいいでしょう。また、実際の作業はけっこうしんどいので、途中で投げ出したくなることもあると思います。それでも格差が広がり、低成長、あるいは衰退期(いやいや、高度に成熟した安定期とポジティブに表現しておきましょう)に入ったこの国において、今とこれから自分が稼ぎ使える「お金」について冷静な意識を持つことは、ますます必須の教養とでも言うべきものになっていくのではないでしょうか。そんなことを気づかせてくれたこの本と林氏に感謝したいと思います。

拍手とブラボーについて

夏の稽古会は無事に……でもないけど、なんとか終わりました。私は「賀茂」の仕舞と、「野守」「紅葉狩」の連吟と、先輩方の仕舞の地謡をいくつかつとめさせていただきました。

打ち上げの宴会で大先生(おおせんせい)が「最後に向かってどんどん盛り上がっていく熱気がよかった」と仰っていました。最後の番組『紅葉狩』でつとめさせていただいたワキ謡、緊張のあまりがたがたでしたが、少なくとも詞章を間違えたりしなくてよかった、と思いました。

その宴会で大先生に伺ったお話ですが、能の終幕、橋懸かりを渡っているときに客席から拍手が来ると、「ああ、うまく行かなかったのか」とがっくり来るのだそうです。大先生は多くを語られませんでしたが、観客が拍手をする=舞台が終わったと観客の心が切り替わる…くらいではまだまだ、と仰っているのだろうなと思いました。

実は私もつねづね、舞台と客席を仕切る幕がない能舞台において、終幕で拍手をするのが何となくはばかられるような、あるいはシテ方が揚幕の奥に消え、ワキ方が、囃子方が下がり、同時に地謡も切戸口から帰っていく一連の流れの中で、どこで拍手をしたものか……といった、なんとなくもやもやとした気持ちがあったのです。

どなたかが書いていたことの受け売りですが、何もない空間に物語が立ち上がり、時空を超えた世界が広がった後、潮が引くようにふたたび何もない空間に戻っていく、そしてあとには何も残らない……のが能の醍醐味で、拍手による区切りはいらないのではなかろうかとも。

とにかく斯界の泰斗ともいうべき先生から「拍手は、本当は控えていただけると……」との本音を聞くことができて、大いに意を強くしました。これからは私、拍手はしません。余韻を楽しんで、能楽堂を出て帰路に就き、駅のホームあたりまできたら、感動を反芻しながらそっと拍手しようと思います。

余談ですが、大先輩のお弟子さんに伺った「クラシックの演奏会における『ブラボー』は何とかならんのか論」にも苦笑し、首肯することしきりでした。今でもいらっしゃるのね、演奏が終わるか終わらないかの瞬間、誰よりも早く「ブラボる」ことにのみ執念を燃やされてる方。そろそろ「ブラ禁」をアナウンスすべき時代ではないかと先輩は仰っていました。同感です。

母語を学ぶことと外語を学ぶこと

平川克美氏の『グローバリズムという病』を読みました。株式会社をはじめとしたビジネスの論理だけで生き方を考えることに警鐘を鳴らしていて、快哉を叫びました。地域を捨て、文化を捨て、母語を捨て、様々な差異を捨てて「グローバル」なるものに溶け込むことがそんなにいいことなのかと。


グローバリズムという病

でも正直に言うと、かつて自分が中国語を学び、留学を志したのは、家族や地域を捨て、自分の文化や母語から脱却しようとする試みだったと思います。まさにグローバルに溶け込みたいと思っていたんです。でも、外から自分のルーツを見つめ直して、考え方が180度変わりました。

だから留学のように海外に身を置いて言葉を学ぶのはとても貴重な体験になると思います。でも、それは母語でこの世界、あるいは森羅万象を切り取ることが出来るようになってからの方がいいんじゃないかとも思います。例えば昨今「(グローバル化という)バスに乗り遅れるな」とばかりに、子供の母語の獲得もそこそこの段階で英語圏へ移住したりする方がいますが、それは子供を「英語の人」にしちゃうだけ……という可能性もあるのではないかと。

母語で世界を切り取ることは、ほとんど「呼吸ができる」のと同様の死活的能力なので、「バスに乗り遅れるな」に乗せられて幼児から英語教育にのめり込むのは危ないです。「英語の人」になってしまえるならまだマシですが、多くの場合「虻蜂取らず」になります。いわゆる「ダブルリミテッド(セミリンガル)」の問題です。そしてその危険性はあまり知られていません。

ダブルリミテッドの危険性

「ダブルリミテッド」の危険性については、Googleなどで検索してみれば様々な方面から警鐘が鳴らされていることが分かります。「ダブルリミテッド」の特徴は様々ですし、個人差も大きいですが、例えば「どちらのことばを使っても、両方を混ぜても、自分の言いたいことが言い表せない」とか「会話はできるが、教科学習になると(例えば、算数の文章題)、どちらの言語でも学習困難」などの生徒は私も専門学校などの教育現場で実際に目の当たりにしてきました。

こちらで読んだ、帰国子女で「ダブルリミテッド」と思われる中学三年生の男子生徒が書いた作文には、その苦しみの一端を垣間見ることができます。

ぼくは海外に住んでことばの重要性がわかりました。なぜかというと、ぼくはいま、自由にはなしたり、書いたり、読めることばが一つもないからです。ぼくはいま、二つのことばをしっています。それは、英語と日本語ですが、知っているといっても二つとも不完全なので自由につかえません。ことばを自由につかえないというのは大変なことです。この作文一つ書くのでも、ぼくにとっては大変な時間がかかります。ぼくにとっては、不完全なことばが二つあるより、一つの完全なことばがある方がいいのです。(中略)今、ぼくは二つの中途はんぱなことばや考え方のなかで生きています、いろいろ不自由でなさけなくなることがいっぱいあります。
http://www.hakuoh.ac.jp/~katakata/ronbun/1-3.htm


う~ん、外語は何度でも学び直すことができますが、母語はそう簡単にはいかないものなあ。私も勤務先の中国語学校で同じような生徒(いわゆる「帰国子女」と呼ばれるような)に接したことがあるので、本当に悩みの深さが分かります。

帰国子女のなかには、深く悩む「ダブルリミテッド」の生徒がいる一方で、自分は「バイリンガル」だからと慢心してしまう生徒もいました。確かにお喋りレベルでは流暢なので、周りからも一目置かれて。中国語は先生の方がヘタじゃん、くらいに思ってたりして。でもいざ進学や就職となると、文章題などに歯が立たなくて挫折してしまって……。実際には母語と外語の「虻蜂取らず」状態にあるのですが、本人にはその自覚も、また「ダブルリミテッド」がどういう状態なのかについての理解もなくて、深く悩んでいるのです。

どちらの言語も高度に運用できる「バイリンガル」への教育が不可能とは決して思いませんが、保護者や教師にかなりの知識と覚悟と用意周到な計画が必要なのではないでしょうか。だから外語圏に放り込めば何とかなるというのは、かなり危ないと思います。

外語は必要になってから学んでも遅くない

小学校低学年から国民上げて英語に狂奔する(と言うのが大袈裟なら、他の教科を削って英語にウェイトを置く)というのはやめて、まずは日本語で複雑な・高度な思考ができるようにすべきです。外語はその後に、必要になった時点で必要になった人だけが学べばいい。語学には実は向き不向きもありますし。

外語を学ぶなというわけじゃないんです。大いに学ぶべきだし、私もその外語学習者のはしくれです。ただ、母語がほぼ確立した大人は同時に日本文化を学び、自分の母語に慢心しないで更に高みを目指すべきだし、母語が確立していない子供に過度に外語を注ぎ込むのは弊害があるのではということです。親御さんが教育機関と緊密に連携をとってバイリンガルに育て上げた奇跡的な例も見聞したことがありますが、それはまさに「奇跡」なんですよね。もちろん、外語を母語にしようと決心するなら、それはそれでまあ仕方ないとも思うんですが(自分が親ならちょっと寂しいけど)。

言語、特に母語はその人の存在の根本に関わるものなので、もう少し慎重にというか、怖れのようなものがあってもいいと思います。だから例えば「言語なんて単なるツール」という物言いは、母語と外語を混同していてやや危うい。母語が十分に成熟した人が学ぶ外語は「ツール」たりえるでしょうけど……。平川氏も仰るように、英語は必要な人が必要な年齢になったら「専門学校」で学べばいいと思います。

必要な人が必要になった時期から始めて外語がモノになるのか。企業派遣の語学クラスを担当した経験から言えば、なります。本気の企業は語学研修に半端ではない集中度と時間をセットします。大切なのは集中度×時間×本人のやる気で、小学校低学年から週に数時間などというのはすごく非効率な学び方です。……ああでも、大人が語学をゆったりのんびり学ぶのも、もちろん悪くないんですけどね。「非効率」だなんて、私も「グローバリズムの病」にかなり冒されていますね。

補記:日本の文化をどうやって発信するか

日本人は昔から外語を熱心に学び、洋の東西の優れた文化を翻訳して取り込んで来ました。その営みは今もこれからも大切ですし、それを日本語母語話者が担うことも意味のあることですが、それと同時に日本人が日本の文化を深く理解し、自らの日本語を更に高め、ひいては日本語や日本文化の理解者を増やすことも大切だと思います。

日本文化を充実させて、じゃあそれをどうやって外国に発信するのか? 日本語を解する外国人に発信してもらうのです。もっともっと多くの外国人が日本に興味を持ち、日本語を学び、日本の文化を愛してくれる方向に、予算と力を割くべきです。全国民が英語に狂奔するのはほどほどにして。

そんな都合のいいことが起こるのか? 実は中国語圏ではそういうことが起こりつつあります。日本文化が好きで日本語を学んだチャイニーズが大勢いて、中国語圏に発信してくれている。畢竟外語は外語で母語には劣るのが普通ですから、母語話者に発信してもらう方がより深く伝わると思います。

例えば中国で人気になっている雑誌『知日』。日本文化を愛し、日本語にも堪能な中国人の手で、中国語圏に向けて発信されています。私のような日本語母語話者がどれだけ頑張っても、あそこまでのクオリティで中国語を駆使して中国語圏に発信するのは難しいでしょう。だから「知日」者を増やすのが大切。

shop-kodensha.jp

こちらに、『知日』の編集主幹である毛丹青氏の講演録があります。日本文化を対外発信することについて、大切な示唆が数多く含まれていると思います。


毛丹青 神戸国際大学教授 2014.5.16 - YouTube

何より『知日』の成功というのは、成功とは言いませんけれども、われわれが少なくとも元気で、ここまでやってこれたということの大きなポイントは、「中国人による中国人のための日本」だったんです。これは日本の方によってつくったものではありません。全て中国人の手によってつくっていくという、これが非常に大きいです。
http://www.jnpc.or.jp/files/2014/05/7dad2af945fb007ef0f21235d3392f72.pdf

そして、こんなことも仰っています。

例えば日本で、果たして中国のライフスタイルをネタにして雑誌をつくれるかというと、つくれないんです。まず、売れないんです。売れない。このギャップを僕は非常に不思議に思っているんです。中国で日本を紹介することでビジネスモデルとして立派にできているのに、一方で日本は全くできていない。日本でできたのは『三国志』『水滸伝』『論語』とか。昔の話です。孔子とか、もう死んで何千年ぐらいの人。
http://www.jnpc.or.jp/files/2014/05/7dad2af945fb007ef0f21235d3392f72.pdf

う〜ん、確かにこれまで中国ブームも「華流」も「台風」も自然発生的にだったり、仕掛けられたりだったりして起こってはきたけど、長続きしていないですもんね。これは私たちに課せられた宿題ですね。

文化侵略ではないかと世界各地で批判も起こっている、中国政府の中国語教育機関孔子学院」。私もいろいろ疑問に思うことはありますが、自国の言葉を世界に広めようとする試みは他国だってやっています。日本ももっとやればいいのにな。なにせ億単位の使用者がいる、世界でも数少ない「巨大言語」なんですから、日本語は。

麻痺のその後2

顔面神経麻痺(ベル麻痺)を発症して約ひと月半ほど。症状はあいかわらず「横這い」ですが、まあ何とか生活しています。

顔面神経麻痺といっても、顔面の麻痺そのものは単に顔の表情筋が動かせないくらいで、別に痛みがあるわけでもありません。抜歯をしたときに麻酔をしますが、その麻酔が一部抜けないで残っているくらいの感覚です。でもそれに伴って発生する諸々の身体的症状がかなり生活に支障をきたします。

まず瞼が閉じにくいことによる、眼の痛み。涙が止まらない、逆に眼が乾く、また涙目になることによって視界がぼやけるなどいろいろと厄介です。それから飲食がしにくくなること。特に液体物や熱い食べ物が苦手です。口を大きく開けるのも、これまた困難。幸い話すことにはあまり影響は出ませんが、それでも長時間話していると滑舌が悪くなります。またこれは最近始まったのですが、麻痺がある方の肩から腕にかけての強い痛みと掌の痺れ。これはかなり辛いです。

そして特徴的なのが、以上全ての症状が、波状的に襲ってくること。一日のうちでも、ほとんど気にならない程度に軽減している時間があるかと思うと、逆に人生降りてしまいたくなるくらいに悶絶する痛みを伴うこともあります。

発症した際に、とても心強かったのは何と言ってもインターネット上の情報です。ホント、ネットがない時代だったらとてつもなく不安になったでしょうね。でも玉石混淆がネットの宿命、色々な方が色々なことを言っており、時にそれが正反対の考え方だったりもするので、そこは混乱の元にもなります。その点で、すぐに近くの大学病院に行ったのはまあ正解だったと思います。受診するのは神経科ではなく耳鼻咽喉科であるのもポイント。

大学病院で処方された薬の服用期間が終わってからは、リハビリ。といっても自分で顔のマッサージをする程度。その他に鍼治療や若い頃から通っているカイロプラクティックや漢方医の処方を受けました。しかし何ですね、ここでも色々な方が色々なことを言っていて、これまた時に正反対の考え方があったりして、やはり混乱しますね。あまつさえ「ベル麻痺は何にもしなくたって九割方は治る」みたいな極端な情報もあったりして。

そんな中で最近この本を見つけました。


顔面神経麻痺が起きたらすぐに読む本

60ページほどの小冊子ですから、すぐ読めちゃいます。そして結果から言えば、なぜもっと早くこの本を読まなかったのかと後悔しました。新しい分野のことを学ぶ時はいつもAmazonで関連書籍を渉猟して片っ端から読むようにしているのに、なぜ今回だけはそうしなかったのか……やはり不安で進むべき方向を見失っていたんでしょうね。

この小冊子には、ベル麻痺の発症の仕組みと原因、治療とリハビリについて、簡潔に分かりやすく描かれています。そのエッセンスをごくごく簡単にまとめれば「症状の程度と回復の度合いに応じた、適切な治療とリハビリが必要」ということになります。至極当たり前のように思えますが、ひとくちにベル麻痺と言っても、発症直後は誰もがほとんど同じ経過をたどるものの、その後の展開はかなり個人差があるようでして、その個人差に応じた対応が必要かつ重要ということなんです。

人口10万人あたりの発症率が1年に20〜30人とされるベル麻痺。特に中高年以降の発症率は高いそうですから、みなさまお気をつけください。主因は誰もが持っている可能性のあるウイルスですが、誘因は生活や仕事上のストレスや免疫力低下だそうですから、ムリをしている方は特に。でもって、万一発症してしまったら、すぐに上記の本を読むことをオススメします。

義父と暮らせば17:ヘルパーさんに来てもらって

細君の実家から車で15分ほどの場所に引っ越して数週間。

我々が同居しなくなったことで、お義父さんは介護保険を利用したヘルパーさんのサービスを受けられるようになりました。現在は週に2回、1時間ずつ、洗濯や炊事や買い物などを手伝ってもらっています。このヘルパーさんのサービス、家族が同居していると受けられないんですよね。それでケアマネさんも以前から「近くに家を借りて住むことができれば一番いいんですけど」と勧めてくださっていたわけです。

これ、同じ家に同居だとダメですが、隣に住んでいるんだったらオーケーなんだそうです。う〜ん、それもなんだか……でも行政的にはどこかで線引きしなきゃ制度がなし崩しになっちゃうから、しかたないのでしょう。でも、同じ敷地内の離れとか、二世帯住宅とかだったらどうなるんでしょうね。

とにかく、ヘルパーさんが入ってくれるようになったことで、我々の負担はずいぶん軽減されました。自己負担率は1割なので、週2回、月に8回来てもらっても、月額2000円。1回1時間で250円という安さです。もっとも介護保険が9割負担してくれるんだから、一時間あたりのコストは2500円、ヘルパーさんの報酬がいくらかは知りませんが、けっこうなお金がお年寄りの介護や世話に投入されていることが分かります。

公的保険で、自らも保険料を払っているんですから何も後ろめたいことはありませんし、すでに介護を経験済みの友人知人も「頼れるところにはできるだけ頼った方がいい」とアドバイスしてくれますし、我々だって自分の人生があるんだから確かにその通りなんですけど、こうやって高齢者のケアに膨大なお金が投入されていくのだなあと考えると、それでなくても財政が破綻しかかっているこの国で……という複雑な思いが(ちょっぴり。偽善だね)いたします。

ヘルパーさんにお願いできるのは基本的にその家の中のことだけです。つまり掃除や洗濯や炊事といった家事ですが、その他に買い物を頼むこともできます。お義父さんも最初は「俺はまだそんな手助けはいらん!」とケアマネさんや我々を困らせていたのですが、お願いしてみればまあまんざら悪くもないと思ったようで、あれこれ買ってきてもらっているみたいです。細君に頼むと「またそんなもの欲しがって! うちにある○○で我慢すればいいじゃない」とか「そんなの食べたり飲んだりしたら身体に悪いじゃない」などと言われてメンドーくさいですからね。

というかね、昨日も実家に行ってきたんですけど、お義父さん、明らかに元気になってる! 我々と同居していたときより、明らかに活き活きしているんです。我々は狭い実家でお義父さんと同居してストレスをためていたわけですが、お義父さんもお義父さんでストレスをためていたんだなあと思いました。かつてお義父さんが「死ぬ前にもう一度お前と暮らしたい」と細君にこぼしたことから我々は同居を決めたんですけど、いざ同居してみたら「娘夫婦と一緒に暮らすの、やっぱ面倒だわ」と思ったっちゅ〜ことですかね。

まあこの先、要支援度・要介護度が高くなっていったらまたどうなるかは分かりませんが、お年寄りが身の回りのことを何とかできるくらいのレベルならば、つかず離れず+行政サービスに頼らせてもらうというのがいいと思います。

国に棄てられた人々

昨日、都内の某大学で、台湾の近現代史に関する簡単なレクチャーを行ってきました。

レクチャーといっても私は台湾近現代史の専門家でも何でもないんですけど、仕事などでその地域に関わっている社会人を講師に招いて話させるという連続講座のひとつということで、私を呼んでくださったのです。毎回の講座ではその地域や歴史に関するドキュメンタリー映画を見ながら話をするというのがひとつのパターンだそうで、私は酒井充子監督の『台湾アイデンティティー』を選びました。


『台湾アイデンティティー』予告編 - YouTube

まず最初に、清朝の時代から日本統治時代、戦後の国民党政府による支配あたりまでをざっくりと説明。これ、全てを網羅しようとか、学術的な無謬性を追求しようなどとすればキリがないし、ましてや専門家でもない私の手に負えるものでもないので、本当にざっくりと。特に、それぞれの時代背景に応じて様々な人たちが台湾にやってきたこと、それ以前からこの土地にいた「原住民」がいたこと、それぞれの人たちの文化、とりわけ言語が様々に入り交じっていること……をポイントにしました。

私たち日本人は、この土地にほぼひとつの民族が、ほぼひとつの言語でもって暮らせてきたわけで、世界的に見ればこれはかなり特異なケースだと思います。だから、例えば台湾のような複雑な民族的・言語的背景を抱えた社会に対してなかなか想像力が働かないんですよね。というわけで、これから社会に出て仕事をしようとしている学生さんが、そういう想像力を働かせながら世界を見てくれたらいいなと思いながら話をしました。

台湾の言語環境について、台湾に住んでいた時にその複雑さを最も身近に感じたのは電車のアナウンスでした。そこでこういう音声を聞いてもらいました。台湾の鉄道では、一般に國語(北京語)、台湾語客家語、英語、場所によっては更に少数民族の言語でもアナウンスが行われます。


台湾の車内放送- YouTube

『台湾アイデンティティー』以外にも、いくつかの映画のトレーラーを見てもらいました。日本統治時代については、『KANO』と『セデック・バレ』を。嘉義農林高校が甲子園で準優勝したのが1931年、台湾統治時代最大の抗日暴動事件である霧社事件が起こったのは1930年。この対照的な映画はほぼ同時代の物語なんですね。


《KANO》六分鐘故事預告- YouTube


『セデック・バレ』予告編 - YouTube

日本が敗戦を迎え、台湾から引き揚げた1945年については『海角七號』を。こうなると、ほとんど監督でありプロデューサーでもある魏徳聖氏の特集ですね。


【台湾映画】『海角七号/君想う、国境の南』日本上映(公開)予告PV - YouTube

でもって、日本人の代わりに大陸からやって来た外省人と、日本統治時代から台湾にいた本省人との抗争である二二八事件を描いた『悲情城市』も紹介しようと準備だけはしていたんですけど、こちらは時間の都合もあって泣く泣くカットしました。それにこの映画、「つまみ食い」する程度だとほとんど何が何だか分からないと思いますし。


悲情城市- YouTube

レクチャーと映画鑑賞が終わった後で、私を呼んでくださった大学の先生が補足の説明をしてくださいました。特に『台湾アイデンティティー』に出てくる、日本統治時代に日本人として教育を受けた世代のお年寄りが発した「日本に棄てられた」「日本人になりたかったけど、なれなかった」という言葉について。

台湾には、日本に棄てられたという思いの人がたくさんいるということ。でもそれは、あの時代の特異な出来事と片づけてしまえるものではなく、現代に生きる私たちにも起こりうる、あるいは既に起こりつつあるのではないかということ。例えば原発事故によって故郷を棄てざるを得なかった福島の人たちに対する政府の対応。さらには格差が広がる中で、ワーキングプアとして棄てられていく若い世代の一部……。

国に棄てられるなんて、今を生きる自分には全く関係のない話で、自らに降りかかってはこないと考えるかもしれないけど、本当にそうかな……と先生は学生さんたちに問いかけていて、へええ、私の拙いレクチャーからここまで引っ張ってこられるなんてすごい、と感嘆しつつ大学をあとにしました。

新聞を読みましょう

通訳学校で、春学期の授業が始まりました。半年間の訓練の最初に行うガイダンスで、いつも「一般常識テスト」を行っています。と言ってもたいしたものではなく、日本と中国語圏の時事や教養に関する語彙について、口頭で簡単に説明してもらうだけです。今春はこの30問でした。

シャドーバンキング/九段線/五毛党/リバランス政策/江宜樺/王毅/服貿・貨貿/BAOSTEEL EMOTION/リコノミクス/岸田文雄/王金平/霧社事件/二二八事件/海瑞罷官論争/梁振英/呉宗憲/大躍進/樣板戲/ジニ係数ビッグデータ/リー・シェンロン(李顕龍)/KANO/李娜陳偉殷ダイバーシティ/微熱山丘/程永華パンチェン・ラマ/小米/胡徳平

ごくごく最近のニュースで流れた言葉もありますし、近現代史*1に関する言葉もありますし、あるいはスポーツやカルチャーに属するもの、少々「カルトクイズ的」、あるいは「オタク的」な言葉もあります。総じて、幅広い分野について日頃からどれだけ広く浅く(ホントは広く深くが理想だけど、限界があるので)関心を向けているか、もし向けていなかったのならこれから意識的に向けるようにしましょうという、まあ自戒も込めての出題なわけです。

通訳の現場に行けば分かりますけど、通訳者が呼ばれるような現場に来ている方々はだいたいがその業界の先端にいる方ばかりで、しかも本当によく勉強されています。そんな中で、その業界に関して一番の門外漢である我々が一番前に出て話を繋がなければいけないんですから、専門知識は逆立ちしても追いつけないにしても、せめて一般常識や時事用語に類する部分だけでも自助努力しておきたいではないですか。

しかもこういう「雑学的」な「オタク的」な幅広い知識って、現場で意外に役立つものなんですよ。ちょっとした話の端々にそういう知識が前提となっている発言が飛び出すんです。そんなときに、日本と中国語圏に関する知識すら「なに?それ」状態だったら、仕事に取り組む姿勢すら疑われてしまいます。「あんた、本当に日中通訳者?」って。

先年亡くなられた英語翻訳者の山岡洋一氏が、『翻訳とは何か』でこんなことを書かれています。私は毎学期、この部分のコピーを生徒さんに配付しています。

(翻訳学校に通う生徒の多くは)講師に教えられた通りにまじめに学習しようとするが、自分で学習しようと考えることはない。


簡単な例をあげよう。大きな書店に行けば,翻訳に関する本はいくつも並んでいる。翻訳書なら小さな書店でも何百点かは並んでいる。翻訳に関心があるのであれば、まして翻訳を学習しようとするのであれば,これらの本を大量に読んでいるのが当然だ。


ところが、翻訳学校の教室ではこのような常識は通用しない。翻訳関する本をいくつかあげて,読んでいるかどうか質問すると,まずほとんど読んでいない。役に立つはずがない入門書を一冊か二冊読んでいるのが精一杯だ。最近読んだ翻訳書をあげるよう求めても、答えはほとんどない。好きな著者の名前をあげられる受講生はほとんどいないし、まして、好きな翻訳者の名前はあげられない。そもそも、翻訳家については名前すら全く知らない。


野球に熱中している少年なら,野球選手の名前はいくらでも知っているし、町のテニス・クラブに通う主婦なら、ウィンブルドンで上位に入る選手の名前はみな知っている。翻訳に関心があり,翻訳を学習しようとしているはずなのに、翻訳家の名前すら知らないのだ。


ここまで受け身の姿勢で、翻訳ができるようになるのだろうか。


山岡洋一翻訳とは何か―職業としての翻訳

通訳学校の開講日にこんな文章を配るなんて、事務方からクレームがつきそうですが、でも山岡氏のこの痛烈な批判、私たちは真摯に受け止めるべきだと思うんです。翻訳や通訳に関心があるなら、翻訳や通訳に関する本を読むべきだし、翻訳や通訳を可能ならしめるための一般常識や教養の涵養にこれつとめるべきだと思うんです。

昨日は春学期の第二回目だったので、懲りずにまた「一般常識テスト」を行いました。二週間前の第一回目で「通訳者は幅広い雑学知識と教養がなきゃ勤まらないですよ〜」とおどしておいたので、この間意識的に新聞を読んだりネットにアンテナを張ったりしてくれたかしら、というのを確かめたかったのです。ホント、いじわるですね。

グレーゾーン事態/メイソウ/ナレンドラ・モディ/亜信会議(CICA)/曹其鏞/張徳江/浦志強/華春瑩/浄網/三江教会堂/若田光一ベンヤミン・ネタニヤフ/パン・ギムン/マララ・ユスフザイ/美味しんぼパラセル諸島

正答率は……一部の方を除いては、あまり芳しくありませんでした。みなさん、新聞を読みましょうね。「紙の新聞オワタ」などと言っている人もいますが、毎朝広げて日本と中国語圏に関する記事があったら片っ端から読むというの、通訳者や翻訳者を目指す方なら必須の日課だと思います。ネットでもいいけど、紙の辞書と同じで、一覧性や教養の広がりという点から、紙の新聞にはまだまだ存在価値があります*2

逆に言うと、既にもうニュース性や速報性などを求める媒体では全くなくなってるんですよね、紙の新聞。でも通訳者や翻訳者に必要な広く浅い知識や一般常識の涵養にはもってこいです。だいたいのとっかかりだけ得て、興味があれば更に他の媒体に当たるから、報道の偏りなども大した問題ではなくなりますし。

生徒さんの中に「これまで新聞取るのもったいないと思ってたけど、月に数千円をけちってる場合じゃないと思った」という方がいて、よかったと思いました。

*1:辛亥革命あたりからこちらの近現代史について語彙を問うと、中国大陸出身の方でもお若い方はほとんど答えられないことがあります。特に文革関係。「黒歴史」だから教わらないのか……でも現在中国社会を動かしている中核にはまだ文革世代も多いから、知っていると役に立つことがあります。

*2:ネットでニュースや記事を読むと、なぜか記憶に残りにくいんですよね。アレはなぜだろう。小さなウインドウの中をスクロールする文章と、大きな視野にばっと入って来る文章とでは、脳への痕跡の残り方が明らかに違うような気がします。私が旧人類だからかもしれないけど。電子書籍も同じ。

義父と暮らせば16:引っ越します。

お義父さんとの同居を初めてわずか半年。いろいろ考えた結果、同居をやめて近くにマンションを借り、住むことになりました。

もともと細君の実家はかなり手狭で、住み慣れたお義父さんはともかく、我々夫婦がほっと一息つける場所が全くありません。それで家にいても心休まる時間がほとんどなかったのですが、このまま続けて、たとえば「うつ」などになってしまったら大変なので、今回の麻痺を一種のアラームととらえ、引っ越すことにしました。

引っ越すと言っても車で10〜15分程度の近所ですから、これからもちょくちょく行くことになるとは思いますが、我々が同居をしないことで初めて受けられる介護サービスもあるんですよね。これについては担当のケアマネさんから強く勧められました。「つかず離れずの方が、お義父さんのためにも良いことかもしれません」と。

確かに、この狭い家に暮らしていれば、お義父さんの方だってストレスは溜まるはず。特に元々は他人の私が、在宅ワークでけっこう家にいますからね。私は私でそれほどストレスに自覚的じゃなかったんですが、今回、麻痺を発症していろんな方の話を聞くに「原因はハッキリし過ぎているほどハッキリしているんじゃないの」と諭されました。

くわえて、エキセントリックなお義父さんの人となりをよく知る弟さん、細君の母方のおじさんとおばさん、私の恩師や友人の多くが、介護と言ってもまだまだそれほど手がかからない段階だし、ここはいったん離れて暮らした方がいいと忠告してくれました。唯一「もっとよく考えたらどうだ。お義父さんも本当は寂しいんじゃないのか」と止めたのは私の両親。まあ、九州にいて、状況がよく見えないですからね。

やっぱり家を出て、近くにマンションを借りて住むことにしましたよ、と告げたら、お義父さんの第一声は「このソファやテレビも、テレビの下の台も持って行くのか」でした。私たちが前の家から持ち込んだやつね。う〜ん、まずはそれですか……と、軽く落ち込みました。

ドストエフスキーと愛に生きる

八十四歳の翻訳家、スヴェトラーナ・ガイヤーさんの半生を追ったドキュメンタリー映画です。翻訳者が主人公の映画というのもめずらしい。というわけで昨日、渋谷のアップリンクで観てまいりました。

f:id:QianChong:20140429130001j:plain

http://www.uplink.co.jp/movie/2013/20712
http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/

ウクライナキエフに生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチスドイツ占領下でドイツ軍の通訳者として働き、二十世紀も終わりにさしかかった頃からドストエフスキーの長編五作品(彼女はそれを「五頭のゾウ」と呼んでいます)『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』の新訳に取り組んだ女性です。

決して派手ではないドキュメンタリー映画ですから、観客を選ぶかもしれません。それでも私は「言葉をほどき、紡ぎなおす」ことに生涯をかけるスヴェトラーナ・ガイヤーさんの姿に感銘を受けました。訳出のスタイルは口述筆記(それも旧式のタイプライターで!)させた上で、ドイツ語母語話者との細かな討論を経ながら推敲を重ねるというもの。翻訳や通訳と言っても私などからすれば何か別世界のようです。

それでも彼女は一個のれっきとした生活者であり、日常の細々とした営みが映画の端々に描かれています。翻訳の作業は、その日常の中にまるで息をするかのように自然に控えめにさりげなく織り込まれているのです。う〜ん、締め切りを気にしながら、ときにパジャマのままパソコンに向かい、仕事も食事も同じ仕事机の上などというどこかの誰かとは……やっぱり違いますね。

余談ですがこの映画、受付で販売されているパンフレット(上の写真)がなかなかの力作です。映画の内容はもちろんですが、映画に出てくる料理のレシピや生活雑貨の紹介、ドストエフスキーに関する文芸関係者のコメントなどが載せられています。

それから九名の文芸翻訳者へのインタビューも。飯塚容、きむふな、鴻巣友季子柴田元幸沼野充義野崎歓野谷文昭松永美穂、和田忠彦の各氏で、読みごたえがあります。何人かの方が,母語の大切さに触れていたのも大いに共感しました。

通訳も翻訳も、こうしてみると語るべきことがあれこれとあり、映画の題材としても申し分ないですね。通訳者が主人公の映画はニコール・キッドマン主演の『ザ・インタープリター』くらいしか知りませんが、現在NHK朝の連続テレビ小説は『赤毛のアン』や『フランダースの犬』を日本に紹介した翻訳者、村岡花子氏の物語です。これもまた僥倖

これからもっと通訳者や翻訳者が主人公の作品が登場するといいですね。刑事物なんかで通訳捜査官の物語とか、どこの国とは限定しないまでも国境警備兵の物語とか。いささか“敏感”すぎて、スポンサーがつかないかな。★★★☆☆。

副作用で消えたアトピー

ベル麻痺の発症から二週間、仕事は再開できたものの、予後の経過は……あまりよく分かりません。一日の間にも麻痺が進んだり緩んだりするような感じで、鈍い痛みを感じることもあれば,ほとんど麻痺のことを忘れるくらい爽快なこともあります。

話すことには基本的に大きな障害はありません。それでも唇の半分が動かないわけで、少なからず発音に影響が出ています。特に唇を使って口を突き出す形の発音、バ行やパ行などが出しにくいです。中国語も母音のuやウムラウトが辛いところ。気をつけて話せばほとんど分からないレベルだとは思いますが……それでも少々ヘコみますねえ。

お医者さんから「東洋医学」の鍼治療もいいよと勧められたので、試してみることにしました。でも、色々と調べた範囲では、ベル麻痺というのは放っておいてもそこそこは治る、というか、ダメになってしまった神経が少しずつ再生して元に戻るまでには長い時間が必要で、それまでは何をやってもさしたる劇的な効果は望めないようですね。焦らず(これが大事みたい。畢竟、ウイルスの再活性化という引き金を引いたのは他ならぬストレスだったようですから)気長に待つしかないみたいです。

それから、お能の兄弟子氏に教えていただいた、気功の治療院にも行ってきました。中国人の師傅から中国語であれこれ解説していただいて、ずいぶんリラックスしました。最後に「枕の下に置きなさい」と護符まで書いてもらいました。わ〜これ、なんだか台湾を思い出します。とても懐かしい気持ちになりました。

一方、「西洋医学」のお医者さんからは神経の炎症を抑える「副腎皮質ホルモン剤」である「プレドニン」を処方されています。ベル麻痺の初期の治療では定番の薬剤だそうですが、これっていわゆる「ステロイド」なんですね。ステロイドと言えば、アトピー性皮膚炎の外用薬としても有名ですが、このプレドニンは内服薬です。しかもかなり強い副作用があるらしい。

副作用、確かにありました。しかも劇的に。なにせ30年来悩まされてきた全身のアトピー性皮膚炎が、すべて消えてしまったのですから。私は10代の頃から首や背中や腕などにアトピー性皮膚炎があって、当時の診断では「穀物アレルギー」とのことでした。穀物ですから米や小麦に始まって、豆類のほとんどがアレルゲンだと言われました。主食のご飯やパンはもちろん、醤油も味噌も、豆腐もコーヒーもモヤシも……かなりの範囲の食材が食べられないことになります。

幸いなことに私のアトピーは比較的軽症で、ときおり皮膚が紅くなることはありますが、基本的に痒みがあるだけで顔などの目立つ部分はほとんど分からないくらいのレベルです。だもんで、一時は厳格な食事療法をしていてほとんど人生投げ出したくなっていた私に、お医者さんが「このまま一生食事療法を続けますか。それとも多少の痒みは我慢しながら好きなものを食べて生きていきますか」とアドバイスしてくれました。もちろん私は後者を選びました。

爾来30数年、年がら年中そこはかとない痒みと上手く折り合いをつけながら生活してきたのです。痒みがひどくなると無意識に掻いてしまうため、皮膚が掻き壊されて肌が荒れる結果になります。それでもまあ「ちょっと見」にはあまり目立たない程度、ときおり紅くなった皮膚を見て「なぜ冬なのに日焼けしてるの」などと勘違いされるくらい。まあ体質だから,死ぬまでこの痒みと荒れた皮膚とは縁が切れないだろうなと諦観していたのです。

それがも〜つるっつる。つるっつる。ハッキリ言ってニキビ面のティーンエイジャーよりよほどきれいな肌。頬の部分なんか、外光を反射して輝いてますから。間もなく「天命を知る」ような年齢とはとても思えません。正直、気持ちが悪いと言ってもいいほどのレベルです。私は外用薬・内服薬含めてステロイド剤を使ったことはほとんどありませんから、よけい劇的に効いたのかもしれませんが……恐るべき薬効です。

リバウンドが怖いです。この「ヤク」が切れたあとの禁断症状が怖い。プレドニンは短期集中的にどんと使って、徐々に服用量を減らしていくように処方されるそうです。今その最終段階に入っていますが、服用しなくなって一気にアトピーが復活したらいやだなあ。願わくばこれで身体が勘違いしてアトピーを卒業してくれたらいいんだけどな。

ま、ポジティブな考えを繰り返し脳にささやきかければ自己暗示的に脳が自分を変えていくそうですから、リバウンドが怖い、ではなくて、アトピーが消えてうれしい、そしてこれは絶対に今後も続くのだと思うことにします。

麻痺のその後

突発性の顔面神経麻痺、発症から一週間が経ちました。

経過はほぼ横ばいです。昨日再受診してきましたが、その際の「40点法」による評価は12点。先週が18点でしたから悪化しているようですが、この症状は最初の一週間から十日ほど、治療や投薬にかかわらず悪化して、それから漸次回復していくのが一般的だそうです。

一応脳の損傷などの可能性も疑ってMRIを撮ってもらいましたが、結果はシロ。「脳の萎縮も損傷も病変等も全く見られません」とのことでした。いや、あったらブログなんて書いてる場合じゃなくなっちゃいますが。水疱等も見られないので、典型的な「ベル麻痺」だそうです。ベル麻痺より重篤な「ハント症候群」の可能性もゼロではないけれども、現時点ではたぶん違うでしょうとのこと。

麻痺は無くならないものの、この状態で食べたり飲んだり喋ったりすることにかなり慣れたので、生活にあまり不自由は感じなくなりました。顔はちょっと見にはあまり分かりませんが、眼の大きさが左右で違って見えます。というか、麻痺して動かないので、左半分の顔が「素」の状態。右半分の顔を隠すと表情が消えちゃいます。

あと、笑うと右の眉や口角しか上がらないので、かなりムリした感じになります。そう、往年のビートたけし氏が「うへへへへ」と笑ったときみたいな感じ。氏も確か、バイク事故による「外傷性顔面神経麻痺」を発症されてたんでしたよね。今ではほとんど回復したようにお見受けしますが。

麻痺の状態にも小さな波があるようで、特に瞼は閉じにくくて眼が乾燥することもあれば、ほとんど問題ないときもあります。閉じにくいときだけ眼帯をしています。眼帯って、何十年かぶりでつけたけど、ものすごく原始的な道具ですね。最近は片目にぺたんと貼り付ける大きな絆創膏状のものがあるそうなので、ネットで注文したところです。「目は口ほどにものを言う」といいますけど、本当にそうですね。眼帯をつけているとそうでもないけど、眼帯を外すと、とたんに「ああ、麻痺だなあ……」という雰囲気になります。

あとは、どれくらいで回復するかです。これだけはお医者さんも読めないそうで、人によって数週間から数ヶ月、長くなると年単位になるそうです。しかも完全に回復するのか、若干の後遺症的なものが残るのかも現時点では分からないとか。

顔面の神経が復活したときに筋肉が衰えていると困るので、リハビリをしています。目を閉じたり、眉を寄せたり、頬を膨らませたり、「イーッ」と口を引いてみたり。要するに「40点法」で試される一つ一つの動作ですね。その他に、二日に一度、近所の診療所へリハビリのためのマッサージをしてもらいに行っています。

友人・知人から様々な体験談や励ましをいただき、評判のよい病院や治療院を紹介してもらいました。本当にありがたいです。何だか今回のことで、いろんなものが吹っ切れちゃった気がするので、もうこうなったら、片っ端から試してみたいと思っています。

義父と暮らせば15:「頭でっかち」はや〜めた

これまで、お義父さんとの食事がストレスでした。

きのう何食べた?』のシロさんよろしく「あまからすっぱいのバランス」を取りつつ色々と作っても、食事中はほとんど無言ですし、何もかも一緒くたにして食べちゃうし、味が足らないのか何にでも醤油やポン酢をどばどばかけちゃうし、口に合わない料理の時は、食べ慣れたタクアンやスルメなんかを引っ張り出してきてご飯をかきこんで……「ごっそさん」と自分の部屋に引き上げちゃう。

正直、お義父さんが食事をしている間は落ち着きません。見ているだけでハラハラしますし、細君が大皿に盛った料理をぐちゃっと崩されるのを嫌って、小皿にとりわけてあげようとするも、「もっと盛れよ」「たくさんあるんだから、それを食べ終わったらまたよそってあげるよ」「うるせえなあっ!」……となったりして。

それで、最近はまずお義父さんに一人で食べてもらって、お義父さんが自室に引き上げた後に後かたづけをやり、それから細君と私でゆっくり食事というパターンが多くなりました。それでも鍋なんかするときはそうも行かないですけど。

ただ、お義父さんが先に一人で食べると言ったって、やはりなんだかんだ気になります。もう食べ終わったかなと思いながら仕事をするのはほとんどムリ。というわけで結局夕飯の買い物から我々が食べ終わるまで何時間もほとんどダイニング(といっても台所の脇ですが)に貼りつくことになります。これがけっこうしんどい。そういう感じで、私たち夫婦が一方的にストレスをためているという認識だったんですけど、実は最近、お義父さんもお義父さんでストレスをためているんだということが分かりました。

自分のしたいようにしたい

数日前、たまたま私は急ぎの在宅仕事があって二階にこもっていて、夕飯を作った後にお義父さんと細君だけ先に食べてもらっていたんですが、そこでも件の「もっと盛れよ」「たくさんあるんだから、それを食べ終わったらまたよそってあげるよ」「うるせえなあっ!」……が再演され、それがエスカレートして、とうとうお義父さん、キレちゃったそうです。

お前たちがいるから自分のしたいようにできない! もうこの家から出て行け!

細君は「ここまで世話してるのに、なんてことを言うんだ!」と激怒したそうですが、いや、これ、お義父さんの本音だったのだと思います。

私たちは生活が不自由になってきたお義父さんと同居して、あれこれサポートしているつもりになっていて、それで時々息が詰まって「たまにはデイサービスとかお泊まりとかで家を空けてくれたら落ち着くのになあ。いわゆるレスパイトケアも必要だよ」などと上から目線の会話をしていたのです。でもお義父さんにしてみれば、それなりに我々に気を使い、なおかつ食事も口に合わないものばかり食べさせられる、自分で大皿から好きなだけ取ることも許されない……というふうに感じていたのかもしれません。

考えてみればお義父さん、我々が同居するまではひとりで自由気ままに暮らしていたのです。昼間から飲んだくれて肝機能を損ない、超高血圧で医師から「あんた、このままじゃ死ぬよ」と言われたくらいでしたが、ストレスはそれほどなかったはず。食事のバリエーションは昔から比較的単調だったそうで、気に入ると同じものを何日も続けて食べるのが好きです。毎日色々な料理が手を変え品を変え出てくる、特に食べつけない西洋風なものも出てくるのは、お義父さんにしてみればストレスであったのかもしれません。

我々が同居に踏み切ったのは、実家に戻るたびにかなり行動が怪しくなってきたように見受けられたお義父さんが、細君に「死ぬ前にもう一度お前と暮らしたい」と漏らしたからです。でもそれだってひとり暮らししていれば誰しも時々襲われる孤独感がたまたま水面上に顔を出しただけで、基本的にそれほど暮らしに不自由していたわけではないでしょう。年金はキッチリいただけてるし、認知症が始まっているとはいえ、まだまだ自分の身の回りのことは自分で何とかできる「要支援」の段階ですし。細君は私と結婚するまではお義父さんと二人暮らしでしたが、当時から細君は仕事で帰宅が遅く、夕飯はいつもお義父さんひとりで晩酌しながら適当に食べていたそうです。

家族のありようはそれぞれ

こんなこと言っちゃナニですけど、家庭のありようはその家庭によってずいぶん違うんだなと。自分には想像もできないような「家風」もある。私はそんな「当たり前」に思いが到ってなかったですね。細君は幾度となく私に「うちのお父さんは食べ物にこだわらない人だから、そんなに手をかけて色々作らなくていいよ。刺身とおひたしと冷や奴くらいが毎日出ても喜んで食べるから」と言っていて、でも私は「いや、それはいくらなんでも……」とまともに取り合わなかったんです。

私の両親は家族一緒の食事を大切にする人たちなので、私も同居したからにはぜひともお義父さんと一緒に食卓を囲んで、これまであまり食べたことのないようなものも試してもらって少しでも脳に刺激を……みたいな固定観念で「頭でっかち」に頑張っていたんですけど、あ、なんか、これ、違うんだなと思い至りました。私は高校生の時に家を出て、それから両親と同居したことはほとんどありませんし、お年寄りとの同居はもちろん初めて。というわけで、子供の時の自分の家のありようを、勝手に細君の実家にも投影していたわけです。

我々の暮らしにお義父さんは干渉しないでほしいと思ってきた我々ですが、逆に我々もお義父さんの暮らしに干渉していたのです。一つ屋根の下に暮らしていてもつかず離れず、必要なとき以外は「我関せず」で構わなかった。でもって、お義父さんがデイサービスやお泊まりに出かけてくれないなら、我々がどんどん出かけてっちゃえばいい。家を空けている間は心配ではあるけれど、それもこれもひっくるめて何かあったらその時はその時と腹をくくるしかない。そう考えて気が楽になりました。

お年寄りとの同居には家庭ごとに様々なパターンがあるはずですから一概に言えませんが、少なくともうちのお義父さんの場合は、現時点(まだそれほど介護に手間がかからない状態)ではお互い自力更生で、必要なところだけ頼る利己主義で「ぜんぜんOK」だったんです。もっと肩の力を抜いていい。自分の人生中心でいい。お義父さんの好みは半年でだいたい分かりましたから、その中のバリエーションを繰り回して、ちゃっちゃとご飯作ればいい。もちろん時には張り込んで、一緒に食卓を囲んでももちろんいい。

先に頭でこさえた理想を実践に移しても、ロクなことにならない場合が多い……とまた一つ思い知らされた気がします。いやこれ、最近の出来事に顔面の麻痺が重なって自省を繰り返すうちに頭でこさえた、とりあえずの結論ですけど。

実はいま、口の半分が麻痺しているので、ものがうまく食べられません。それでも何とか慣れて、こぼさないようには食べられるけど、見た目あまり「お行儀がよくない」感じに。ぐちゃっと食べちゃうお年寄りの気持ちがほんの少し分かるような気がしました。

麻痺がやってきた

いやあ、まいった。
突発性の顔面神経麻痺(ベル麻痺)を発症してしまいました。

ベル麻痺 - Wikipedia

数日前から、瞼と舌先に違和感を覚えていたのですが、それが昨日の夕刻あたりから一気に広がり、顔の左半分が麻痺して動かせなくなりました。かなり顔がゆがんでいます。涙腺がコントロールできないからか涙が止まらないし、食べたり飲んだりするのにも少々苦労します。なにより、言葉が喋りづらくなりました。ほとんど話すことが商売だというのに!

ネットで「顔面 麻痺」などのキーワードで検索すると怖い記述がそこここに見つかるのですが、こちらのブログがとても参考になりました。感謝申し上げます。

顔面神経麻痺「ベル麻痺」完治。治療回復経験・教訓まとめ8つ | How to read maps

というわけで、車で20分ほどの総合病院に向かいました。左目がおかしいので、運転も危なっかしいです。神経内科に申し込むも、耳鼻科ですと変更を勧められ、受診。聴力検査のあと、40点法による評価と診察。評価結果は18点で、中程度の症状、現段階では悪化するか比較的短期間で治るかは不明とのことでした。で、たぶんウイルスの再活性化による顔面神経麻痺——ベル麻痺でしょうというお医者さんの見立てです。

顔面の神経が腫れていて、それを起こしているのはヘルペスのウイルスなんだそうですが、これって水疱瘡とか帯状疱疹と同じウイルスなのだそうで。幼少時に水疱瘡を罹患した際、潜伏したウイルスに完全に免疫ができていなかったのではとか何とか(メモを取ってなかったのでうろ覚え)。なぜ今になって再活性化したのか原因は不明ながら、たぶんストレスとのこと。

ストレス……ですか。これまでどんな逆境にもめげない自信だけはあったんですけどね。気づかないうちに今の生活や仕事のやり方が大きなストレスになっていたのかもしれません。もしくは、そういうストレスに持ちこたえられるほど若くはなくなったということですか、あああ。

本来なら一週間ほどの入院治療が必要とのことでしたが、結局服薬しながらの自宅療養ということになりました。できるだけ安静にして、ストレスをかけないようにすべしと言われました。聴力検査の結果は異常なし。顔面の筋肉や神経は舌のそれとは別なので、口の麻痺が治まれば基本的には話すことに障害は及ばないそうです。まあなんというか……少しだけ安心しました。

びっくりするくらいたくさんの薬を処方されました。普段、風邪気味の時に葛根湯を飲む程度の私としては、ほとんど人生初の出来事です。でもって、一応脳神経系の異常も確認するため、明日MRIを受けてくることになりました。一週間後に再受診して、経過と予後を判断してもらうことになっています。

今週から学校の授業が始まり、来週には通訳案件も控えており、さらには能の稽古会もあったんですが、すべて調整をお願いしたりキャンセルしたりで、様々な方面の様々な方々にご迷惑をおかけすることになってしまいました。突発性の病気で不可抗力とはいえ、なんとも無念です。でも初期の治療が肝要だということなので、じたばたせず安静にして治療に専念したいと思います。

追記

セカンドオピニオン」ということで、もう一つの病院にも行ってきました。こちらでも診断の結果は同じで、処方された薬もこの服用を続けるということでよいでしょうということでしたが、加えてリハビリと眼の保護の大切さを強調されました。

リハビリのやり方次第で、予後の善し悪しも決まるとのことで、専門の医師が首筋や頬や顔面のマッサージをしてくれました。これは今後一日おきにでも通院して続けるとよいということ。また経過を見ながら鍼治療を加えてみてもよいとのことでした。

自宅でも行うマッサージとして、とりあえず「頬を左右交互に膨らませる」「眉間にしわを寄せ、戻す」「目を閉じ、開く」の三つを行うこと、ただし決して「頑張りすぎないこと」と言われました。また蒸しタオルなどで頬から耳の下まであたりを暖めるのもぜひやってくださいとのこと。

その他、麻痺している側の眼がしっかりと閉じないため、眼球がいつも外気に晒されて角膜を痛める恐れがあるので、目薬を一日に四〜五回ほど差し、眼帯をつけるように指示されました。う〜ん、これはますます仕事をしていられるような状態ではなくなってきました。とりあえず一週間ほどはおとなしくしています。

台湾の“反服貿”について覚えた違和感

ここのところ連日、台湾の“反服貿”運動の動向を注視しています。“服貿”は“服務(サービス)貿易”の略。中国語で“海峽兩岸服貿協議”、日本語では「両岸(中国と台湾)サービス貿易協定」と訳されている、2010年に締結された「経済協力枠組み協定(ECFA)」に基づいて進められている具体化協議の一つです。

与党・国民党が審議を十分に尽くさず強行採決に踏み切ったことから、学生が立法院(国会)を占拠して反対運動を展開し、一部が行政院(内閣)への突入という形で飛び火。当局が強制排除に動いて負傷者を出し、立法院の占拠は現在も続いています。3月30日には主催者発表で50万人が参加した大規模なデモも行われました。

ことの顛末と現況は各種報道にあたっていただくとして、私がこの間報道やネット上での様々な情報に接する中で覚えた違和感を記してみたいと思います。

日本人としてのスタンス

まず基本的に、私は日本人ですから、台湾と中国の政府間協議に意見する立場にはありません。両国なり両地域なりの人々が考えて決めればよいことです。個人的に「こうなればいいな」という思いは多分に、しかもあれこれとありますが、それは単なる個人的願望であって、当事者に働きかけるような類いのものではないと思っています。

ネット上には、そうではない、これは回り回って日本の未来にも関わってくる話なのだと、中国脅威論をベースに日本人の積極的関与を促す意見も散見されますが、それはまあ「ためにする議論」というものでしょう。少なくとも現時点において、他国間のECFAとそれに付随する協議について、主体的に考えるべきはその当該国の人々です。日本が締結を進めようとしているTPPに対して、その当否を主体的に考えるべきは我々日本人であるのと同じ意味で。

またネット上には、特にTwitterや掲示板などですが、あからさまに「中国憎し・台湾ラブ」的無責任な発言や誹謗中傷、あるいは理性的な判断を放棄したような一方的シンパシーを表明する発言が大量に溢れています。少なくとも我々日本人は「第三者」なのですから、もう少し理性的にことの成り行きを注視し、是々非々で議論すればいいのになと思っています。

どこか高揚した比喩

どこかの掲示板では「造反有理」などという支持のコメントを見かけましたが、この言葉の出自と背景を考えればやや煽情的に過ぎるのではないかと思いました。また内田樹氏のブログではこの件に関して東京大学名誉教授・佐藤学氏の現地速報が何度か転載されました。内田樹氏の著書はほとんど読んでいるほど氏に私淑している私ですが、これにはちょっと危ういものを感じました。

しかし、本格的闘いはこれからです。立法院(国会)は国民党が多数を占めているので、立法院を占拠している学生たちが排除されれば、自由経済協定は簡単に可決されてしまいます。そうなると中国の巨大な資本が台湾を買い上げてしまうでしょう。
(中略)
学生たちの冷静沈着で賢明な闘いは、大学生たちのほぼ全員の支持と大多数の参加、大多数の市民の支持を獲得しています。
(中略)
ほとんどの国民が「学生たちを尊敬する」「学生たちの勇気に感謝する」と語っています。私は台北教育大学大学院で講演と集中講義を行っているのですが、ほぼすべての教授が学生運動を支援し、「素晴らしい学生たちだ」「学生たちを尊敬する」「学生たちに感謝する」と語っています。
佐藤学先生の台湾情報第三報 (内田樹の研究室)

立法院の学生が排除されれば“服貿”が簡単に可決されてしまうほど国民党が強いのに、「ほとんどの国民」「ほぼすべての教授」が学生を支持というのは本当なのでしょうか。限界はありますが、様々な現地の意見に接してみれば、決してそんなに単純なものではないことが分かりますし、その一方で国民党が与党とはいえ、知人の台湾人も多くは「現状維持」を望んでいます。

このエントリについては、リツイートについているコメントのほとんどが「学生全面支持+一方で日本はダメダメ……」という論調のものばかりでしたが、私は失礼ながらこの、やや高揚した文体のレポート全てを鵜呑みにはできません。

佐藤学氏は続くレポートで、学生による立法院占拠を「パリコミューン」と呼んでいるのですが、この比喩にも先ほどの「造反有理」同様やや首をかしげざるを得ません。佐藤学氏も書かれているように学生が「沈着冷静で賢明な闘い」を展開しているのは台湾の民主主義を守るためであって、政権奪取の革命を目指しているのではないからです。

議会制民主主義の否定

私自身、“服貿”には多々問題があると思うし、国民党・馬英九政権の舵取りは性急だとも思うし、台湾の人々の、これが単なる協定を越えて「中台統一」の布石になるかもしれないという恐怖は十分理解できるし、立法院の占拠が始まって以降の学生の理性的なふるまいや、それに呼応した市民の数々の「美談」についても感動を禁じ得ない部分はたくさんあります。

それでもやはり、民主的な政治のあり方を求めて議会制民主主義を蔑ろにするのは筋が通らないと思うんです。日本でも同じですが、時の与党が数を恃んで強行採決をすることがあります。そのたびに憤りを感じますが、その議員たちは正当な手続きを経て(実際には「地盤」でいろいろあるでしょうけど、少なくとも法律には反しない形で)代議士になっているわけで、結局は有権者の責任でもあると思います。

台湾の立法院議員がその選出にあたってどういう「裏」があるのかはよく知りません(かつて台湾に住んでいたときは色々聞かされましたが)。でもいくら議事運営が悪辣だからといって、議会に突入してそれを止めたら議会制民主主義の根幹が崩れるのではないでしょうか。

学生のリーダーである林飛帆氏は、日本の記者の「こうした活動が反民主主義的だという声もありますが」という質問に答えて「この活動自体が、民主主義を取り戻すためのものです」と語っていますが、民主主義を希求するならば議場占拠ではなく統一地方選や次期大統領(総統)選で馬英九氏を追い詰め撤回というような民主主義のルールを踏むべきだと思います。迂遠でまどろっこしいけれど、民主主義はもともと迂遠でまどろっこしいものなんです。

学生もぎりぎりのところで立法院の占拠という苦渋の決断をしたのだと思いますし、その後の理性的な管理のあり方を見ても、単に血気にはやって無分別な行動に出たのではないことも分かります。それでも占拠という形で議会制民主主義のあり方を否定してしまったら、そしてそれが成功してしまったら、今後様々な問題において同様の運動の出来(しゅったい)を担保しますし、それは回り回って民主主義の不全を招くのではないかと思うのです。これは単なる想像ですが、台湾社会にも一部の突出を憂いている心ある人達がいるのではないでしょうか。

少なくとも我々日本人は、もう少し引いた立場から冷静にことの成り行きを見つめたい。そんなことを考えました。あ、エイプリールフールとは関係なく、ホントにね。

働き方革命

私はいま「フリーランス」という働き方をしています。去年の三月いっぱいで、それまで勤めていた職場を辞めましたから、ちょうど一年経ったことになります。

仕事を辞めた当初は再就職の道も考えてハローワークに通ったり、数多くの転職サイトで求人に応募したりしましたが、中年以降になると採用してくれる企業はぐぐっと減りますね。いや、実際には職種や待遇を選ばなければ仕事はたくさんあるのですが、結局それらの仕事に応募することはしませんでした。もう以前のように早朝から深夜までこまねずみのように働くのはまっぴらごめんだと思ったのです。

それに、はなはだ心許ないレベルながら一応手に「中国語」という職があり、それを見込んで仕事を振ってくださる方々がおり(本当にありがたいことです)、そんな中で失業保険の給付を受け続けるのはなんだかなと思って、ハローワークで「開業」の届けを出し、フリーランスになりました。ハローワークからはいくばくかの「手当」が出ました。

途中で細君のお義父さんと同居して生活の面倒を見ることになりましたが、そのおかげで(?)家賃と光熱費が大幅に削減される結果になりました。これまで払っていた家賃と光熱費の一年分と、この一年間の収入を足してみたら、かつての職場での収入と「とんとん」。収入だけを見れば大幅減ですが、暮らし全体から見ればあまり変わらなかったことになります。

そして「兼業主夫」としての毎日と、以前なら考えられなかったほど大量の自由な時間がやってきました。

もともと「主夫のおばおじさん」志望ですから、家事をこなすのは全く苦になりません。それでも家に居て次々にやってくる家事の「タスク」をこなしていると、あらためて家事労働というのは大変な作業量だなと思います。とはいえ私たちには子供がいませんから、これでも非常に楽なほうでしょう。お子さんがいて、パートナーが家事を分担してくれなくて、なおかつ外で働いている……という方は、本当に大変だなと思います。想像することしかできませんが。

週に何度か、複数の学校へ非常勤講師として出かけています。それに加えて不定期で通訳の仕事をし、在宅で字幕の翻訳をしています。あとは時々イレギュラーな頼まれ仕事。外で仕事をする際には、帰宅が深夜になることもありますが、いつも驚くのは夜の10時、11時という時間になっても、電車やバスにかなり多くのサラリーマン(とおぼしきスーツ姿の男性)が乗っていることです。

私が住んでいるのは千葉県の常磐線沿線で、最寄り駅は都心からは小一時間ほどかかる場所にあります。家はさらにその最寄り駅からバスで20分以上もかかってようやくたどり着く場所です。とはいっても周囲は畑などではなく、びっしり住宅が建て込んでいるようないわゆるベッドタウンですが、そんな場所に夜の10時、11時に帰ってくるサラリーマンがけっこういるんです。お見かけした限りでは、みなさん、お酒を飲んでいい気分というわけでもない。

この方々は、これからお風呂に入って、食事……はもう外食で済ませてるのかな、で、日付が変わる頃に就寝して、明朝9時に出勤だとしたら遅くとも6時には起きなきゃならないでしょうね。お子さんがいても、平日は顔を合わせる時間がほとんどないんじゃないかな。大変だ……いや、大きなお世話なんですけど。

私もサラリーマンをしていたときには、残業、時には徹夜などという長時間労働がデフォルトでしたが、いまこうして自分で自由に時間を配分できるようになって、ひどい働き方をしていたなとあらためて思います。特に働いていた企業がいわゆる「ブラック」だったわけではありません。何度か転職をしていますが、それぞれにやりがいのある仕事をさせてもらった会社でした。それでも結果的にひどい働き方をしていたのは、まずは自分の意識の持ち方のせいであり、つぎにそれぞれの会社の、働き方の変革に鈍感なありかたのせいだったと今にして思います。

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)

この本は(ようやく本の紹介だ)、以上のようなことを考えてフリーランス一年目を迎えた私にとって、とても共感できる内容でした。たまたま書店で手にとって購入したんですけど、読み終わって「おお、なんというシンクロ」と驚いたくらいで。

具体的には、筆者である駒崎弘樹氏ご自身の体験(多少のフィクション性が加味されていると思われます)に基づいて、長時間労働から脱却して自分の時間を自律的に管理すること、プライベート、特に家族との関係を重視し再構築すること、自分のためだけではなく「他者に価値を与える」ことを含めた働き方を志向すること……などが、なかば小説風に描かれています。

テイストは「自己啓発書」に近く、読むだけで高揚感が湧き何かを成したかのように錯覚してしまいがちな「キャリアポルノ」的読まれ方をする危険性もありますが、そういう「ライフハック」的な部分を自覚しながら注意深く読んでみれば、私たち(とりわけ日本人)の働き方について様々な示唆が得られる本だと思います。