インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

みんな私に向かってしゃべる2

以前「みんな私に向かってしゃべる」を書いたら、通訳者のid:toraneko285さんからご自身の論文*1をご紹介頂いた。

通訳業務を行っていて、非常に気になることのひとつに、肝心の聞き手がよそを向いていても、平気で通訳者に向かって話をする話し手が多いということがある。
また、話しはじめる前にいちいち「通訳さん、ちょっと訳してください」と言う人もいるし、話が一段落ついたところで必ず「どうぞ」と通訳を促す話し手がいる。
(中略)
数人の通訳者に尋ねたところ、皆同様の経験を持っており、このような話し手はやりにくくて困る、と口を揃えた。

まったく同感だ。私の周りにも「ちょっと訳して」と前置きしてから発言する日本人がいるし、ひとしきり話しておもむろに“翻譯!(訳して!)”と命令する台湾人も多い。
toraneko285さんの論文には、心理学の専門家による見解も紹介されている。話し手がなぜ聞き手ではなくついつい通訳者に向かって話しかけてしまうのかについて、ある専門家はこうコメントしている。

普通、対話の際には聞き手の顔色を見てノン・バーバル・キューを使いながら話しているとすれば、言葉毎に表情で反応してくれるということが重要になる。

言葉の壁があって、相手は自分の言っていることを全然わからないという前提が明らかな状況では、話がしづらい。壁に向かって話しかけても空しいだけだ。いや、物言わぬ壁ならまだしも、自分の発言が(言語的に)全く聞き取れない相手は、不安そうな表情で視線を宙に泳がせていたり、全く意味のないところであいづちを打ったりするかも知れない。これが話し手を不安にさせる。
そこへ行くと目の前にいるこの通訳者は私の言葉がわかるはずだし、発言に合わせてメモも取っている。文の切れ目や意味の切れ目でかすかにうなずいてもいるようだ――おそらくこうしたことの総合が話し手に一種の安心感を与え、なおさら発言を通訳者に向かわせるのだと思う。
この専門家も指摘しているが、ここでは通訳者が話し手の視界に入っている、ということがポイントらしい。よほど日頃から通訳者を介した会話に慣れている人でもない限り、「(通訳者を)『空気』のように見做すことは至難のわざであるように思える」とコメントされている。
王珠惠氏のには、Albert Mehrabian氏の有名な「3V*2」が紹介されていた。これはコミュニケーションに必要な要素を言葉・音声・視覚の三つに分け、実際の情報伝達にそれぞれがどのくらいの影響力を持つかを調べたものだ。それによると……

人間の談話に不可欠な言葉(verbal)......7%
言葉の感情を表現する音声(voice)......38%
視覚に訴えるパフォーマンス(visual)......55%

となるらしい。
コミュニケーションが言葉に負っているのは、わずか7%というのに驚く*3。聞き手は単に耳で言葉を受け止めるだけではなく、声の質や音量やトーン、身ぶり手ぶりなどから話し手の意図を受け取っているのだ。聞き手自身もうなずいたり、首をかしげたり、目を輝かせたり、不満という表情をしたりして、非言語のメッセージを発しつつ発言を受け取るのだ。だから話し手としては、聞き手からのそうした反応がリアルタイムで帰ってこず、まるで虚空にボールを投げ込むように話すのは非常に落ち着かない、というのはよく理解できる。
となれば、通訳者が表に出ている逐次通訳で、通訳者に話しかけるなというのは、やはり無理な相談なのだろうか。

*1:『日華翻訳雑誌』所収の『話し手はなぜ通訳者に話すのか――逐次通訳の場合――』

*2:『Silent Messages』1971年

*3:しかし本当に言葉の割合が7%だけなのか、私にはまだ疑問だ。Albert Mehrabian氏はアメリカの研究者だそうで、たぶんこれは英語を対象にした調査結果なのだろう。そのまま日本語にも当てはまるものなのかな。