インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

再び「英語を学ぶ人々のために」

年が明けて、また今年も仕事を頑張ろうという気持ちの時に、よく読み返す文章があります。戦後間もない昭和二十三年二月に書かれた、中野好夫氏の『英語を学ぶ人々のために』です。

中野氏は、敗戦後に人々の英語熱が急激に高まったことを「むろん悪いことではない」としながらも、こう書いています。

だが、それでは今の英語全盛を、私たちは、そのまゝ無条件に喜んでいたらそれでよいかということになると、私はどうもそうは思えない。というのは私は、日支事変から太平洋戦争中にかけての日本人の英語に対する態度をイヤというほど見てきているからである。私の関係している東京大学の英文科についていえば、昭和十二年頃までは、毎年必ず四五十人はあつた志願者が、その頃からはツルベ落しのガタ減りで、戦争中などは四五人か、多くて五六人が精々だった。(中略)

ところが戦後はどうなつた。英文科は迷惑な殺到だ。ドイツ語をやつたものまでが、なんとかして英文科へもぐりこもうとする。今年の志願者はいよいよ五十を越えそうだ。それ自体は別に悪くはない。だが、私にはこうした人間の軽薄さが嫌いなのだ。こうした情勢次第の英語志願者を頼もしいとは思えないのである。おそらく就職のよしあしに色眼をつかつた、こうした英語勉強に期待が持てないのだ。

※原文は旧漢字。以下同じ。


中野好夫氏。写真は光文社古典新訳文庫さんから。
http://www.kotensinyaku.jp/archives/2015/02/006472.html

中野氏によれば、戦時中も英語は敵性言語などと言われながらも、だからといって英語を学べば国賊だというほどではなかったそうです。もちろん今よりもずいぶんと階級差の激しい(格差ではなくて知識の階級差)時代だったでしょうから、中野氏のいた知識層と一般大衆との英語に対する感覚は違っていた可能性もありますけど。

それでも、戦時中はあんなに人気のなかった英語に、戦後は人々がなだれを打って殺到するさまを見ながら、中野氏が内心面白くないものを感じたというのはよく分かります。規模は全然違うけれど、中国語も流行り廃りが激しい言語で、数年前まで就職に有利、これからは中国の時代だなどと中国語を学ぶ方が激増していたのが、今ではチャイナプラスワンだ、いや中国の時代は終わった、だいたい尖閣靖国PM2.5だで感じ悪いしさ……といきなり冬の時代に突入ですから。

そのあとに、私がいつも自戒としている名文が続きます。

語学が少しできると、なにかそれだけ他人より偉いと思うような錯覚がある。くだらない知的虚栄心である。実際は語学ができるほどだんだん馬鹿になる人間の方がむしろ多いくらいである。私はあまり英語のできる自信はないが、よしんば私がイギリス人やアメリカ人なみにできたところで、それは私という人間にとつてなんでもない。日本のためにも、世界のためにもなんでもない。要は私がその語学の力をどう使うかで決まつてくる。

正直に告白すれば、私にもここに書かれているような知的虚栄心はあると思います。だからこそ座右において自戒とするわけですが、語学を学ぶ場に行くとこの点に自覚的ではない方、いや、もっとありていに申し上げれば「どうしてそんなにエラそうなの?」という方が時々いますね。外語に対するコンプレックスの裏返しとして、虚栄心なり優越感なりが生まれるのかもしれませんが、あれは不思議です。語学は、やればやるほどその深さが実感されて、「私は〇〇語ができる」などと軽々しく言えなくなると思うんです。「ネイティブ並み」とか「ペラペラ」という言葉も使えなくなる。

中野好夫氏は「英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られてい」た(ウィキペディア)そうですが、その氏にして「私はあまり英語のできる自信はない」と書かれているのです。私の敬愛するある文芸翻訳者は「今でも原文にどこか靄のかかった感じをぬぐいきれない」とおっしゃっていました。こうなると、むしろ「ネイティブにはなれない」と心底分かることこそ語学上達の要諦ではないかと思えるくらい。もっとも私自身は、第二言語、つまり外語は母語を越えることはできないし、母語の豊かさが外語の伸びしろを担保するのだと気づいたのは、学び始めてからかなり経った頃でしたけど……。

中野氏は「外国語の学習は、なにも日本人全体を上手な通訳者にするためにあるのではない」と書き、そのあとにこう続けます。

それではなんだ。それは諸君の物を見る眼を弘め、物の考え方を日本という小さな部屋だけに閉じ込めないで、世界の立場からするようになる助けになるから重要なのだ。諸君が、上手な通訳になるのもよい。本国人と区別のつかないほどの英語の書き手になるのもよい。万巻の知識をためこむもよい。それぞれ実際上の利益はむろんである。しかし結局の目標は、世界的な物の見方、つまり世界人をつくることにあるのである。

このあたりは敗戦を踏まえた中野氏の思いがあふれている部分だと思います。一見すると昨今のグローバリズム的英語礼賛に近いような読まれ方がされそうですが、もちろんそうではありません。米英との戦争を避けられなかったという責任を、英語に携わる者として痛感するところから書かれているのです。だから、氏の書く「世界的な物の見方」とは、英語的な世界を通して、一般の日本人以上に日本を見つめる役割を己に課すということなのです。

では、諸君の先輩の英語をやつた人たちはそれをしたであろうか。明治時代の先輩のある人たちはそれをした。たとえば新渡戸稲造とか、内村鑑三というような人々には、単に英語ができるという以上にたしかに今までの日本人に見られないサムシングがあつた。そしてそれが新しい日本の指導に大きな力をなしたのであった。ところがこゝ十年あまりの、そうした語学を生かして、その頃の日本の歩みに一番警告や指導を与えなければならない英文学者や英語の先生たちは、この私をもふくめて、一人の例外もなしに、意気地なしであり、腰抜けであり、腑抜けであつた。(中略)


とにかく数からいえば、これだけ存在する英語関係者が、もう少しイギリスを知り、アメリカを究め、今少し自分の首や地位への考慮をはなれて物を言つていたら、よし日本の運命を逆転させる力はなかつたにせよ、もう少しは今にして後味のよい結果になつていたはずだ。

ここで語られているのは英語関係者ですけど、私も一人の「中国語関係者」として何だか遠い過去についてというよりは、近くの未来に対しての警句のように読めます。ここ数年、初対面の方にお目にかかるたび、私が中国語関係者だと知って皆さん一様にうかべる困惑というか同情というか時に嫌悪というか、そういった複雑かつ微妙な表情に気づくことが多くなりました。朝野ともに、かなり煮詰まってきているような気がしてなりません。

中野氏は「私自身をも含めて、今生きている英文学者や英語の大家小家は、一人として尊敬する必要のない人ばかり」としたうえで、これから英語をやろうとする戦後間もない頃の若い人たちにこう希望を述べます。

英語を話すのに上手なほどよい。書くのも上手なら上手ほどよい。読むのも確かなら確かなほどよい。だが、忘れてはならないのは、それらのもう一つ背後にあつて、そうした才能を生かす一つの精神だ。だからどうかこれからの諸君は、英語を勉強して、流石に英語をやつた人の考えは違う、視野が広くて、人間に芯があつて、どこか頼もしいと、そのあるところ、あるところで、小さいながらも、日本の進む、世界の進む正しい道で、それぞれ生きた人になつているような人になつてもらいたい。

この世の隅々で、ひとりひとりが、小さいながらも、語学をまっとうに生かしてほしいという「希望」にうたれます。それと「それぞれ生きた人になつているような人になつてもらいたい」というのもいいですね。「生きた人」というのが分かりにくいですけど、これは現在進行形で己の役割を(小さいながらも)つとめている人と読んでもいいし、あとから歴史を振り返って、役割を果たして生きた人がいたと思われるような人になれ、というふうに読んでもいいと思います。

そして最後に、中野氏はこう述べて締めくくります。「知的虚栄心」のくだりと同様、自戒にしている文章です。

語学の勉強というものは、どうしたものかよくよく人間の胆を抜いてしまうようにできている妙な魔力があるらしい。よくよく警戒してもらいたい。

含蓄のある言葉です。いろいろ角が立つので書きませんけど、「業界」の方なら深く得心がいく言葉ではないでしょうか。

昭和二十三年に書かれたこの文章は、現在から見れば「ぽりてぃかるこれくとねす」的に微妙な表現も散見されますが、それはこの文章の重みを少しも減じるものではありますまい。全文は大修館書店から出ている『資料日本英学史2』に収められています。以前にもエントリを書きましたが、この本は「英語教育論争史」をまとめたもので、とても興味深いです。例えば現在の「ぐろーばる化」の要請を受けた小学校からの英語必修化や中学校からの英語による英語教育などをめぐる議論についても、通底する論争が明治以降めんめんと繰り返されてきたことが分かります。日本人は英語をはじめとする語学にどれだけ「胆」を抜かれてきたんでしょうね。

さて、では今年も、胆を抜かれないように気をつけながら、勉強しようと思います。