インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「枯れた」技術

「枯れた技術」という言葉があります。

枯れたハードウェア、枯れたソフトウェア、枯れた技術、なんて言い方をする。この場合の「枯れた」は、基本的には「古い」と同じ意味だと思っていい。
しかし単に古いだけでなく「すでにトラブルが出尽くしていて、そのトラブルも解決され尽くしている」といった意味が強い。そして必ずしも悪い意味ではなく、むしろ良い意味で使われることが多い。
https://www.nttpc.co.jp/yougo/%E6%9E%AF%E3%82%8C%E3%81%9F.html

もちろん今も進化を続けているのだけれど、何度も改善や改良が重ねられてきて信頼度の高い技術、言い換えれば成熟した技術ということができるかもしれません。

細君は、くも膜下出血で入院して手術を受け、そののち後遺症の水頭症に陥って再度手術を受けましたが、その際、家族の代表として医師から詳細な説明を受けました。術式の概略から用いる麻酔の種類、起こりうるリスク、万が一の場合に取り得る緊急手段などなど、多岐にわたりましたが、私は説明を受け、その間にもインターネットであれこれ調べているうちに「ああ、これは『枯れた技術』なのだな」と感じました。

くも膜下出血は、その予後(発症後の状況、その後の見込み)が、①即死、②重篤な後遺症を残す、③ほぼ問題なく社会復帰のそれぞれがおよそ三分の一ずつといわれる怖ろしい症状ですが、なぜか私は医師の説明を聞きながら自分でも意外なほど動揺していませんでした*1

医師の説明が落ち着いていて不透明なところがほどんどなく、なるほど大変な状態ではあるけれど手術の方法は明確にあるのだ、言い換えればこの手術は「枯れた手術」なのだと感じたからだと思います。まあ私たちには子供がおらず、他に面倒を見なければならない家族も全くいない気楽な身の上だったから、ということもできるでしょうけど。

細君の正式な病名は「前交通動脈瘤破裂によるくも膜下出血」といって、最初の説明で二種類の術式(手術の方法)を提示されました。ひとつは動脈からカテーテルを入れてコイルを動脈瘤に入れる方法、もうひとつは開頭手術して動脈瘤に直接クリップを挟む方法です。

担当医師は割合フランクというか、ぶっちゃけた言い方をする方で、「まあこの術式の場合、これこれこういうリスクがあって、○○%くらいは死んじゃうこともあるんですけどね、ははは」などと詳細に説明してくれました。

こんな時に笑うなんて不謹慎? いえ、それが私、「あ、笑って説明できるくらいだから、これは結構大丈夫かも」と思っていました。これもまた「枯れた技術」だと感じたゆえんでもあります。結局、医師の勧めもあって開頭クリップを選び、同意書にサインしました。実際には動脈瘤の表面が薄かったとのことで、側頭筋を持ってきて貼りつけ補強するという作業も加わりました。

手術後にもう一度医師から予後について詳細な説明があり、そこでは起こりうる後遺症として①再出血、②血管の攣縮(れんしゅく)による脳梗塞、③肺炎などの合併症、④水頭症などが示されました。この時も医師の説明は淡々としてある意味「明るい」もので、この辺の対処についてもすでに「枯れた技術」があるのだなと感じた次第。くも膜下出血に関してはネット上に多くの情報があり、例えばこちらなどが大変参考になりました。

脳神経外科で扱う病気と治療について

結局細君は④の水頭症に陥り、再度入院して手術をすることになりました。この際に行われた、頸椎経由で降りてきた脳室内の水を腰椎から腹腔までシリコンチューブで導くという「腰椎腹腔シャント(L-Pシャント)手術」もいわば「枯れた技術」のようで、数時間程度の施術であっさり成功し、細君は現在、ほぼ完全に生還といっていい程までに回復しています。水頭症についてはこちらのサイトがとても詳しく、参考になりました。

www.suitoushou.jp

ちなみにこの「腰椎腹腔シャント」、その「枯れっぷり」が半端ではありません。シャント(チューブ)を体内に装着しても、脳室内の水が適度に抜けるよう調整しなければならず、その調整がうまくいかないと頭痛や吐き気などを訴えることになります。そのためシャントには髄液量を調整するためのバルブ(弁)がついており、なおかつ急激に髄液が流れる(サイホン現象によるらしい)ことを防ぐための装置までついているのです。しかもバルブは体外から遠隔操作できる仕様になっている*2というのですから、どこまで「枯れて」るんだという。

とにかく、大変な病気ではありましたが、発症例もかなり多い病気だけにその後の対処技術が「枯れて」いたことは幸いでした。もちろん早期に発見してすぐに救急車を呼べたこと、脳神経外科の緊急外来が常設されている大きな病院が自宅から近い場所にあって救急隊の方々が迅速に搬送して下さったこと、細君がこの病気の発症年齢としては比較的若く体力もあったことなど、数々の幸運が重なった結果でもありますが。

……それにしても。

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手術に際しては、人事不省に陥っている本人を前に、医師や看護師から詳細な説明を受け、リスクを「ありてい」に告げられます(ハッキリ言わないと後でモメますからね)。つまり術式や、麻酔や、輸血や、CTのための造影や、万一の場合の拘束などについて矢継ぎ早に説明を受け、家族の代表としてサインをしなければならない、それも今すぐここで待ったなしで……というの、私は上記のように医師と「枯れた技術」にすぐ信頼を置いてさらさらっとサインしちゃいましたが、家族や家庭の状況によってはそう簡単ではないだろうなとも思いました。

あと、医師や看護師は難しい言葉をなるべくかみ砕いて説明しようとしてくださいましたが、やっぱり病気や症状に対するある程度のリテラシーというか、一般常識というか、そういうものがないと、判断のしようがないのではないかなとも。

私は、自分が数年前に原因不明の頭痛やしびれに悩まされたことがあり、MRIを撮ったりネットで調べたりして偶然にも最低限の知識があったこと、そしてこれも上記のようにいろいろ心砕かなくてはならない家族や、ある意味口うるさい親戚などの存在がなかったから、「さらさらっ」と行けたのだと思います。

これは何ですね、中学や高校などの、例えば保健体育(そんな科目が今でもあるのかどうかは分かりませんが)みたいな授業で、成人以後に罹患する可能性の高い重篤な病気について、基礎的な教養を教えておくとかしてもいいんじゃないかな。

*1:細君によると、後から医師の先生が「ダンナさんが落ち着いていて救われました。かなり取り乱すご家族もいらっしゃるので」と言って下さったそうです。

*2:細君によると、操作用の機械を肌に当てて、一瞬でかちっと調整が終わるそうです。