インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

言語リテラシー の検索結果:

子どもが「タブルリミテッド」になる心配はない?

…とかという、いわば「言語リテラシー」を育むための一冊ではないかと。そうした根っこの部分をすっとばして、幼少時から母語の涵養もそこそこに英語教育に狂奔するその「後押し」としてこの本に述べられているバイリンガルやマルチリンガルの魅力が受け取られてしまうとすれば、今井先生だけでなく私も「ちょっと待って、落ち着いて」と言いたい気持ちになります。私は、特に子どもが母語と外語の「虻蜂取らず」状態になっているいわゆるダブルリミテッド(セミリンガル)に陥る危険性について、このブログでも何度と…

プロに対する「タダでお願い」について

…申し上げていますが「言語リテラシー」とでもいうべきものをぜひ盛り込んで欲しい。言語とは何なのか、言語や文化の壁を超えるとはどういうことなのか、通訳や翻訳とはどんな作業をしているのか、多言語に分かれているこの世界とはいったいどういうものなのか、そんな世界で異文化間や異言語間のコミュニケーションを行う際にはどんな利害得失があるのか……。それから、いまここに存在する失礼な態度に対しては、即異議申し立てを行うことです。幸いMassi氏の異議申し立てツイートには現時点で12000近くの…

日本語を教えるのなんて簡単?

…えるバイトないかなー それなら楽勝なのになー」などと言っている人にも。そういう留学生には、例えば「じゃあ“我學中文學了三年”と“我學中文學了三年了”の違いを説明してみて」などと言ってみるのですが、これまでに明快に説明できた方はほとんどいません。自分の母語を非母語話者に教えるには知識と技術が要り、ことはそう簡単ではないというの、もう少し広く知られてもいいのになと思いました。これも何度も申し上げている「言語リテラシー」教育のようなものの必要性というところに収斂していくお話ですか。

再び言語リテラシー教育(のようなもの)の必要性について

…しさがあるかなど、「言語リテラシー」とでもいうべき教養、あるいはそのための教育が日本に決定的に欠けているからではないかと思っています。幼少時から外語(なかんずく、英語)教育にはこれだけ熱心だというのに、一体これはどうしたことでしょうか。私たちは外語に対するいじましいまでの憧れとコンプレックスを抱いている一方で、いささかナイーブ(うぶ)な心性を持っているんですね。日本語と外語を往還することに対して、単に言葉を置き換えればよいとか、言葉は拙くても誠意があれば通じるなどと、かなり単…

ヒトの言葉 機械の言葉

…なことだと思います。そして外語の習得がなぜこんなに難しいのかというこうした論点は、ぜひ初中等教育の段階で学んでおくべきではないかとも。小学校から英語やプログラミングなどの必修化が行われるなら、それと並行してこうした言語学的な知見を反映した「言語リテラシー」的な科目も組み合わせるべきです。そうした背景知識の学習と並行して英語などの外語やプログラミングなどを学ぶほうが、その知識そのものがより分厚いものになるでしょうし、またその後の人生をより豊かにしてくれるだろうとも思うからです。

「言の葉」のフィンランド

…言語とは何かという「言語リテラシー」とでもいうべき基本的な知識だと思います。この本では他にもフィンランド手話についても多く紙面が割かれており、そこでも音声言語と手話言語の違いと共通点、手話言語に対する多くの誤解、日本手話と日本語対応手話(シムコム)との違いなど、手話言語に対する基本的な知識も学ぶことができました。余談ですが、書名にある「言の葉」がいいですね。「言の葉」は辞書によれば「言の端(は)」であり、紀貫之の和歌「やまとうたは人の心をたねとしてよろづのことのはとぞなれりけ…

漢字にルビ振りゃいいってもんじゃないです

…育に力を入れるのもいいでしょう。でもその前に、いやせめてそれと並行して、言語とは何なのか、言語や文化の壁を超えるとはどういうことなのか、通訳や翻訳とはどんな作業をしているのか、多言語に分かれているこの世界とはいったいどういうものなのか……そうしたことを学ぶ「言語リテラシー」的な教養科目がぜひとも必要だと思います。それは幼少時からの外語教育がその前提としている「グローバル化した世界」と対峙する際の、基本中の基本だと私には思えます。qianchong.hatenablog.com

「日本語を話す外国人」という存在がよくわからない?

…はそれと平行して、「言語リテラシー教育」とでもいうものが必要なのではないでしょうか。そもそも言語とは何か、母語や外語とは何か、言葉の壁を超えるとはどういうことか、通訳や翻訳とはいったいどんな作業なのか……世界がさまざまな言語に分かれているという現状の難しさも面白さも奥深さも、そして一面の怖さもきちんと理解しておく必要があるのではないかと。ただ単に「英語や中国語がペラペラに」を目指すだけでなく、言語が異なる人々とのつきあい方や交流の仕方、すなわち「異文化(異言語)コミュニケーシ…

無理して知ろうとしない

…長につながる新たな価値を生み出していくこと」とか「日本の文化と異文化との比較により、様々な考え方があることに気付く」などという文言はかろうじて見つけることができます。現場の先生方にはぜひこの部分を「超拡大解釈」していただき、外語(外国語)学習のベースとしての異文化や多様性への理解、またそもそも言語とは何か、言語の壁を乗り越えるとはどういうことかなどの「言語リテラシー」とでも言うべき基礎的な教養の涵養に力を注いでいただきたいと切に願います。私も私の持ち場で努力しようと思います。

医療通訳の現場で見落とされているもの

…づね申し上げている「言語リテラシー」の涵養が急務ということになるでしょうか。 相応の報酬が必要 上掲の記事によれば、通訳学校などでの専門教育のほか、電話などを介した通訳サービスも広がりつつあるようです。ただ、ずっと以前に私がツイートしたように、「医療通訳 ボランティア」でネットを検索してみると、まだまだ報酬面から質の向上を確保しようとする動きは鈍いような印象を受けます。「医療通訳 ボランティア」で検索してみると、現場で不足している医療ボランティア大募集、有料の養成講座を受講、…

語学が楽器演奏や筋トレに似ている件について

……などなど、いわば「言語リテラシー」あるいは「異文化・異言語リテラシー」とでもいうべきものを涵養していく必要があるのではないでしょうか。それは個々人が語学を学ぶ際の取り組み方にも大きくプラスとなるでしょうし、多様な文化や価値観に対するフラットで寛容な接し方の基礎にもなるでしょうし、将来仕事をする際にだって、自分が語学を使う場合はもちろん、通訳者や翻訳者を雇用する場合や外国人と協同する場合などにも大いに力を発揮するのではないかと思います。上記の斎藤兆史氏と鳥飼玖美子氏の対談の最…

「サカイマッスル」をめぐる騒動を眺めながら

…さように私たちには「言語リテラシー」的なものが欠けているのですね。言語は単なるツールとうそぶき、言語間を行き来する際の怖さや難しさ、あるいは逆に面白さや奥深さといったダイナミズムを肌身で分からないというのは、高等教育まで母語で行うことができるという世界でも数少ない幸福な国に暮らす日本人の宿痾なのかもしれません。でも考えてみれば、私たちにだって翻訳や通訳によって外来文化を受け入れてきた長い長い歴史がありますよね。ほぼモノリンガルであるがゆえに、外の文化を貪欲に吸収しようとした結…

『ナカイの窓』と同じ心性は自分にもあるかもしれない

…_781.html 言語リテラシー教育の必要 今回の件に関して、ネット上では「そもそも日本のコンビニで、母語ではない日本語を使って仕事をしていること自体すごいではないか」という擁護の意見が数多く見られたことは救いでした。私たち日本人(日本語母語話者)は、とかく二つ以上の言語を使って生活することそのものへの想像力が乏しすぎると思います。それは一面、単一の言語のみを使って高等教育まで賄える日本という幸せな国の宿命でもあります。だからこそ、そも言語とは何か、二つ以上の言語を用いると…

「英会話時代」という狂奔を前にして

…。そんな「異文化・異言語リテラシー」とでも呼ぶべきスキル、格差や非寛容やヘイトの暗雲が立ちこめつつある現代に生きる私たちに必須のスキルを身につけるための外語学習であってほしい。そのうえで、学問や仕事のためにツールとしての外語が必要になった人は、それが必要になった段階から、じゅうぶんにコミュニケーションのツールたり得る外語を習得するべく寝食を忘れて・死にもの狂いで学ぶべきです。ご自身も長い時間をかけて日本語を学んでこられたロバート・キャンベル氏の「国民等しくペラペラになる必要は…

スポーツにも語学にも「向き不向き」がある

…す*1。「セサミストリート」みたいな番組を観て、英語の音や文化に親しみましょう程度ならいいと思いますし、異なる言語や文化の人たちとどうつきあうかという「異文化・多言語リテラシー」みたいなものの一環としての語学だったらまだ意味がある(というか、むしろぜひやるべき)だと思いますけど。qianchong.hatenablog.com *1:もちろん非効率でも、向いていなくても大人が趣味で語学をやるのは、多角的な視点を身につけるという意味でも有用だと思いますが、それはまた別の話です。

言語リテラシー教育(のようなもの)の必要性について

…(異言語)コミュニケーション」とは何か、という包括的なリテラシー教育の必要を感じます。昨今は「グローバル化」のバスに乗り遅れるなとばかり、朝野をあげて小学校から英語教育だとの声喧しいです。それぞれの言語の学習もけっこうですが、その前に、あるいはそれと平行して、「言語リテラシー」のような一般教養を発達段階に応じて身につけていくプログラムが必要ではないでしょうか。それは言語の習得のみにとどまらず、多様性を認識し、認め合い、寛容と相互理解の精神を養うことなどにもつながると思います。

日本人が日本語と外語を行き来することについて

…か……等々のいわば「言語リテラシー」とでもいうべき内容を教えてほしい。その先に、身の回りの外国人や留学生、「海外ルーツの子どもたち」、そして通訳者の仕事への理解も生まれてくるでしょう。 *1:日本語母語話者であっても、他人に自分の考えを伝える際の日本語の話し方は訓練する必要があります。テレビに登場する方でも時々、話しているのは日本語だけど、おっしゃっていることがよく分からない……という方はいますよね。 *2:タイ人だけどご先祖は福建省から移住してきた中国系で、そのため実家では…