インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

シニアの意欲低下の理由になっている

私はあと数年でいまの職場を雇い止めになります。定年退職後のセカンドキャリアを具体的に考えておかなければならないので、きのう雇用側に、60歳から65歳までどのような雇われ方になりどのような働き方ができるのか、収入はどのくらいになるのかなど、細かいことをたずねてきました。

うちの職場は正職員だけでも千人規模を抱える比較的大きな学校法人で、雇用に関する規定ははっきりと決まっています。それでも報酬の詳細など具体的なところは分からない部分が多いので単刀直入にたずねてみたわけですが、果たして、収入はおおよそ現在の半分近くになることがわかりました。個別の事情によって変動はあるそうですが、おおむねこのレベルになるとのこと。私は50歳を超えてから奉職したので退職金みたいなものも微々たるものですし、これはかなり大きなインパクトがあります。

私はいまの仕事が好きですし、定年後も必要とされるなら職場に貢献したいと思っています。さいわいなことに同僚もそれを望んでくれていますが、それでもこうして具体的な金額を聞くと、ある種の感慨が湧いてくるのを抑えられません。なるほどいわゆる「シニア世代」というものは、結局はそういう存在でしかないのかなと。

そんな感慨を抱いてもやもやした気持ちでいたら、今朝の新聞にこんな論説が掲載されていました。おお、なんだかシンクロしているなあと思いました。

本人が希望すれば六十五歳まで雇用する義務が企業に課せられたため「置いておいてやる」との活用法は「福祉的雇用」とも呼ばれる(中略)固定された賃金も成果を求めないとのメッセージとなりシニアの意欲低下の理由になっている。

そうそう、私の「もやもや」はそこにあったんですよね。収入が半分に下がるということは、もうそこまでの成果も貢献も求めないと言われているような気がしたのです。もちろん私は、年老いてもなお「オレが、オレが」と主役を張りたがって、報酬も最高額を要求するというようなのは大嫌いです。徐々に若い人たちへいろいろなものを譲りつつ、静かに退いていきたいとも思っています。

だから単に金額だけでやる気を削がれるというのは自分の美意識みたいなものと相容れないんですけど……と思いながら今朝通勤電車でDuolingoをやっていたら、こんな文が現れました。もちろん偶然ですけど、にしてもシンクロしすぎでしょう!