インタプリタかなくぎ流

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三権分立ってこういうことなんだろうな

先日の新聞に、こんな小さな記事が載っていました。アメリカの下院が、同性婚の権利をアメリカ合衆国全体のレベルで擁護する「結婚尊重法案」を、党派横断的な協力で可決させたというニュースです。

この法案は、トランプ大統領時代に「保守化」が進んだ連邦最高裁が、同性婚の権利を認めた判例を変更する可能性があるため、それに対抗して提出されたものなのだそうです。私はこの記事を読んで、行政と立法と司法が牽制しあう本来の意味での三権分立とはこういうことなんだろうな、と思いました。

アメリカの下院は今年、バイデン大統領つまり行政府の懸念を尻目に、ペロシ下院議長が訪台して立法府の意思を示す挙に出ました。同国にはアメリカと台湾の高級官僚による相互訪問を促進する「台湾旅行法」というものまであるそうです。

ja.wikipedia.org

その是非を論じる立場に私はありませんが、少なくともこうやって三権が互いに緊張関係にあるというのは、ちょっと羨ましいような気もします。アメリカと日本ではもちろん政治状況も首長の選ばれ方も異なります。それでも三権分立という国の根幹をなす枠組みは一緒です。それなのに、私たちのそれはなんとも情けない状態にあります。

政府が国会をないがしろにする傾向は安倍元首相の頃からますます強まっていますし、裁判所も政府に追随していることが多いように思います。いわゆる「一票の格差」についても国会に丸投げのような判決が続いていますし、上述した同性婚の問題についても、先日(11月30日)東京地裁が結論としては合憲だが違憲状態であり「具体的な法制度については国会が議論して決めること」という、ほとんど司法の役割を放棄したような判決を出しました。

www.vogue.co.jp

アメリカももちろん理想的な状態ではありません。国民の分断はますます先鋭化しているように見えます。それでも政府と国会と裁判所が様々な手をつくして牽制し合うのを見るにつけ、そして翻って本邦の状況を見るにつけ、その彼我の距離にため息をつかざるを得ません。そしてもちろんそれは我々有権者の資質にも依っているものであることは言うまでもありません。

羨ましがっているばかりではなく、私たちはもっと声をあげなければいけない、とおらためて思います。