インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

声援や拍手はいらない

いつも拝見しているブログ「オトニッチ」さんでこんな記事を読みました。音楽ライブでの声援や拍手はいらないのではないかというお話です。

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観客の声はライブを盛り上げる要素かもしれない。しかしライブの本質ではない。それに気づいた。ライブの本質はステージに立つメンバーのパフォーマンスやスピーカーから流れる音楽なのだ。それがあれば最高のライブを成立させることは不可能ではない。


むしろ観客が声を出せくなったことで、パフォーマンスの魅力がより伝わるようになった。歌声や演奏を雑音無しでしっかり聴けるし、ダンスや表情も集中して見ることができる。

コロナ禍に突入してからこちら、ライブでの声援が「禁止」されたことで、かえってライブを本質的に楽しめるようになったのではないかとおっしゃるわけです。ライブで盛り上がりたい向きには「暴論」にも見えるでしょうけど、私はとても共感しました。

私自身は声援で盛り上がるタイプの音楽ライブにはほとんど行ったことがありませんが、それでも音楽パフォーマンスにありがちな、どこからともなく手拍子が起こってせっかくの演奏や歌声が台無しになるという状況に、以前から理不尽な思いをしてきました。どうしてそんな薄っぺらいノリで会場の雰囲気を一色に染め上げてしまうのだろうかと。

qianchong.hatenablog.com

ジャンルは違いますが、私が好きな伝統芸能の世界でも同じような「問題」があります。例えば歌舞伎など、これもコロナ禍の影響で大向こうからの掛け声(「成田屋!」とか「澤瀉屋!」とかのアレ)が禁止されたせいか、そのぶん上演中の拍手が増えた、いや、増えすぎたような気もします。これも台詞や音楽を損なうことはなはだしいのです。

qianchong.hatenablog.com

能楽でも「拍手をすべきか否か問題」が以前からくすぶっています。私自身は一切拍手をしませんが、観客によってはそれでは何かもの足らないと思う方もいらっしゃるでしょう。演者に対して声援を送りたい、賞賛の気持ちを伝えたいという意図はよく分かるので、私も「禁拍手原理主義」を唱える気はありません。

qianchong.hatenablog.com

ただ中には「為にする拍手」なのではないかと思ってしまうこともあります。演者への賞賛ではなく、自分のカタルシスのためなのではないかと。そう、クラシックコンサートにおける「ブラボー」のように。

そのような人はライブを楽しみたいわけでも、音楽を聴きたいわけでもないのだろう。ステージに立つ者へのリスペクトも、周囲の観客への思いやりも持っていない。騒ぐことを楽しみに来ているのだろう。これはアイドルのライブに限った話ではないかもしれない。

冒頭に引用させていただいた「オトニッチ」さんは、少なくともコロナ禍下のいまは、演者が求めておらず周囲の観客ヘも迷惑になる声援を控えようとおっしゃっています。そしてアフターコロナになったら全力で声援を送ろうと。ただ私は、記事で言及されていた「音楽を聴く」「音楽を純粋に楽しんでもらう」という点に立ち返った鑑賞スタイル、そういう精神が、アフターコロナにおいても議論され、広くコンセンサスを得ていくといいなと夢想しています。音楽に限らず、伝統芸能の鑑賞においても。


https://www.irasutoya.com/2015/01/blog-post_883.html