インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

限りなく完璧に近い人々

デンマークコペンハーゲンで、「スモーブロー」と呼ばれる伝統的なオープンサンドイッチのお店に行ったときのこと。たくさんあるオープンサンドの種類に恐れをなして、店員さんに「この店のおすすめはどれですか」と聞いたら、ちょっと困ったような顔で「それはなんとも言えません」と言われました。

ずいぶん素っ気ないんだなとそのときは思いましたが、このマイケル・ブース氏による本『限りなく完璧に近い人々』を読んで、その理由がわかったような気がしました。あれは「ヤンテの掟」のせいだったのかもしれないと。


限りなく完璧に近い人々

ヤンテの掟は、デンマークの国民性、ひいては北欧全体に共通するとされる「均質性」や「平等性」、あるいは行動抑制的な傾向を半ば自虐的に表現したもので、その十番目の掟にはこうあります。「我々に何かを教えることができると思ってはいけない」。なるほど、外国人観光客に自国の名物であるスモーブローの「おすすめ」を口にするなど、これに照らせばあまりに出過ぎた掟破りであるということなのかな、と思ったのです。

もちろん、ヤンテの掟のようなこうした物言いは、ある国民やある民族集団に対するステロタイプな見方であると考えることもできます。実際にそうした批判もあるようですし、マイケル・ブース氏自身もこのエピソードを、ご自身の諧謔に満ちた文体のブースターとして用いているフシもあります。それでも私にとってこの話は、とかく先進的な福祉国家として理想化されて語られがちな北欧諸国に対して、複眼的な思考を促してくれたという意味でとても大きな収穫でした。

デンマークといえば私はかつて、“hygge(ヒュッゲ・ヒュゲ)”というキーワードにも興味を持って、このキーワードを冠した書籍を片っ端から読んでいた時期がありました。

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そのさいに私は、あまりにも情緒的に過ぎると感じられる、あるいはあまりにも表層的かつファッション的に消費されているだけなんじゃないかと感じられる「ヒュッゲ関連本」のあれこれにどことなく違和感を覚えていたのですが、それをこのマイケル・ブース氏の本によってさまざまな視点から捉え直すことができたのでした。

しかもこの本を読むと、北欧諸国、つまりデンマークアイスランドノルウェーフィンランドスウェーデンという五カ国が、けっして「北欧」とひとまとめにして語ることができるほど同質でも均質でもないことがよくわかります。さらには歴史的な経緯を踏まえた北欧諸国間のさまざまな確執、愛憎、矛盾などについてもその概要をつかむことができます。もちろん北欧の良質な部分、学ぶべき部分についてもふんだんに盛り込まれてはいるのですが。

全体で500ページ強という少々分厚い一冊ではありますが、マイケル・ブース氏一流のユーモア溢れる筆致(この方は『英国一家、日本を食べる』の著者ですよね)ですいすいと読めます。いま私は趣味でフィンランド語を学んでいて「フィンランド関連本」も片っ端から渉猟しているのですが、「ヒュッゲ関連本」を読んでいた時に感じていたのと同じような違和感が募りつつあったところにこの一冊。実に興味深かったです。

フィンランド語教室の先生は以前「フィンランド大使館のTwitterアカウントは、いいことばっかり書いてんじゃないよ!」という主旨のことをおっしゃっていて、私は自分が中国語圏に住んでいたときの経験に照らして「ああ、そうなんだろうなあ」とやけに納得感を持ったことを思い出しました。

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どこの国のどんな人々にも、表層的かつファッション消費的に眺めているだけでは見えてこないさまざまな側面がある。そんな当たり前の、しかし忘れてしまいやすい事実を改めて気づかせてくれました。そしてどこかの国の芝生がことさらに青く見えてしまう理由は、実は自分の中にこそあるのだという点も。この本をひとつの手がかりにして、いまの日本に溢れる北欧関連本(とくに礼賛系)の分析と研究をしてみたらすごくおもしろいのではないか……と思いました。