インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

未来予想にはツッコミを入れる

もう30年くらい前のことですが、「41歳寿命説」というものが取り沙汰されたことがありました。「21世紀初めには環境汚染の影響で日本人の平均寿命が大幅に下がる」というもので、食生態学者の西丸震哉氏がその著書で主張し、ひとしきり論争になっていたことを覚えています。

この説は要するに、現在(その当時)世界でもトップクラスの平均寿命を形成している日本の人々は、かつての環境汚染や自然破壊などがない時代に生まれ育ってきた人たちであり、これがそのまま続かないだろうというものです。その後公害などが多発し、環境が著しく悪化した世界に生まれ育ち、添加物などのたくさん入った食べ物を食べてきた人たちはそこまで長生きできないはずだと。

ja.wikipedia.org

私は学生の頃、西丸氏の著作をいくつか読んで影響を受けたくちです。もとより自然食や環境保護に興味があり(かなり遅れてきたカウンターカルチャー世代といったところです)、チェルノブイリ原発事故を契機に公害問題などにも関心を持っていたので、なおさら氏の主張には首肯するところが多いと思っていました。

それで大学を卒業した後は就職せず、なかば帰農するような形で熊本県水俣市に移り住んだのでした。たぶん自分はそこまで長生きはできないだろうと思っていましたし、ならば会社に就職してあくせく生きるより、自分のしたいことをしよう……そんなことを考えていたようにも思います。

ところがそれからも日本人の平均寿命はのび続け、数十年たった今でもなお世界のトップクラスにとどまり続けています。環境問題は、たとえば気候変動など当時とは異なる様相を示しつつ続いていますが、大気汚染や水質汚濁のたぐいは技術の進歩などにより当時よりよほど改善されました。そして平均寿命もまた医療などの技術の進歩で、西丸氏が予想したような未来は(少なくともいまの時点では)訪れていません。

とはいえ私は、西丸氏(すでに故人ですが)を批難する気にはなれません。氏は氏でご自身の研究成果からそうした未来予想を導き出して世に問うたわけですし、その背景には現代文明に対する警鐘の意味合いも込められていたのだと私は思います。

ただ、いまから振り返ってみれば、どんな賢人や明哲であっても未来の予想はかくも難しいということを感じるとともに、その未来予想に全面的に寄りかかっていたかつての自分を省みて、いたたまれない気持ちになります。なにせ当時の私は「自分だけが世界の真理を知っている」的な謎の高揚感に浸っていたものですから。


https://www.irasutoya.com/2016/06/blog-post_538.html
▲「いらすとや」さんにはほんとうにいろいろなイラストがありますねえ。

未来予想は、それが当然のことながら誰も見たことがない、つまり歴史と違って検証のしようがないものであるがゆえに、いきおい極端な信奉、あるいは否定が介在しやすいものです。しかもそれらは大声で自信たっぷりに語られがちです。誰も見たことがない・見るすべがないのですから、ある意味言いたい放題ですもんね。

でも未来予想につきものの、この「自分だけが世界の真理を知っている」的な態度は、たいがいろくな結果を招きません。私はかつて母親の影響で某カルト宗教の価値観に強く引っ張られた青春時代を過ごしましたが、こうしたカルト宗教の内部はまさにそういう独りよがりな未来予想がもっとも輝いて見える場所ではないかと思います。

誰しも未来を見通したいという欲求があります。それは不安の裏返しでもあります。不安を取り除きたいがゆえに未来を見通したい。でもその際には、現在の自分にとってきわめて整合性のある(ようにみえる)ひとつの説にしがみつかず、いくつもの視点から世の中を眺めてみることの大切さを痛感しています。

だから個人的な教訓としては、ある未来予想に膝を打って「そうだ!」「その通りだ!」と思ったら、つまり自分にとって整合性のある説(気持ちいい説と言ってもいいですね)に出合ったら、すかさず「ほんとうにそうか?」「ほんとうにその通りか?」とツッコミを入れる習慣を身につけるということになるのかな。