インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ウォーキング・メディテーション

先日の朝、最寄り駅から職場まで歩いていたら、後ろから歩いて追いついてきた同僚に“Walking Meditation”してるの? と聞かれました。周囲の人たちと比べて明らかにゆっくりと歩いている(だから同僚も追いついた)ので、何かのマインドフルネスな取り組みをやっているように見えたそうです。

“Walking Meditation(ウォーキング・メディテーション:歩く瞑想)”という言葉は初めて聞きましたが、歩くときに自分の身体や地面から受ける感覚に意識を向けて雑念を払うことで、疲れやストレスをとり、心身ともにリラックスすることができるというものらしいです。

実のところ私は特に瞑想などしていなくて、その時はちょうど語学の音声を聞きながら小声でシャドーイングなどしていたのですが、確かに歩みはかなりゆっくりだったかもしれません。特に最近は意識してゆっくり歩くようにしています。気候がどんどん蒸し暑くなっていくこの時期、汗だくになるのがいやだということもありますし、周りの人々の歩くスピードが速すぎてついていけない(体力的に?)ということもあります。これも老化の一局面なのでしょうか。

しかしながら、いつも仕事場で出会う留学生のみなさん、特に中国語圏の留学生に言わせると、東京の“生活節奏(生活リズム)”はかなり速い、というかせわしなく感じるのだそうです。そのもっとも特徴的なものが道行く人たちの歩く速さで、日本に来たばかりの時は「どうしてこんなに速いんだろう」と驚いた……という人がけっこう多いです。

個人的には、そうかなあ、中国や台湾でだって、とりわけ大都市のリズムはけっこう速く、せわしないと思いますけど、たぶん道行く人たちの速さのみならず、街の喧騒、公共交通機関の往還、アナウンスや注意書きの多さなど、日本の大都市で感じられる雰囲気が特有の「せわしなさ」を醸し出しているのでしょう。

そう思って振り返ってみると、確かにここ数年、私はこの東京の「せわしなさ」にちょっとついて行けなくなっているような気がします。人混みが極端に苦手になったのもその表れでしょうし、他人のせわしない動きにいちいちイライラしている自分を見つけて驚いたこともあります。そしてそういうまわりの速すぎるリズムに振り回されないよう、ジムなどでもなるべく周囲を意識せず、自分の精神に深く沈降していくようなイメージを持とうとしています。

なるほど、そういうスタンスを持とうとしていること自体が、瞑想やマインドフルネスに近い行為ということになるのかもしれません。

ちなみにネットで“Walking Meditation”を調べていたら「経行(きんひん)」という禅宗の修行を見つけました。歩いて行う座禅みたいなもののようです。「行」を「ひん」と読むのも珍しいですね。中国語の“háng”と近い音ですけど、中国語の“經行”は“jīngxíng”と読むらしいです。日本語で「行」を「ひん」と読むのはほぼこの語彙くらいなんじゃないでしょうか。

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