インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ウクライナ侵攻から見る内なる差別

先日、とある報道番組にロシアの軍事に詳しい専門家がゲストとして出演されていました。そのときに考えさせられたのは「今回のウクライナ侵攻で、内なる自分の差別を意識させられた」というその方の発言でした。録画していないので正確ではないですが、おおむねこういうご主旨でした。

ロシアはこれまでにもチェチェンジョージアなどに侵攻してきたし、アフガニスタンやシリアにも軍事介入してきた。でもその時に我々は、今回のウクライナ侵攻と同じような憤りを感じ、抗議の声を上げただろうか。心のどこかに中東や中央アジアからの難民とウクライナからの難民を分けて考える思考があったのではないか。

2月28日付けの『ワシントンポスト』オンライン版にも、同様の主旨の記事が載っていました。ポーランドハンガリーなどが現時点ではウクライナからの難民を温かく迎え入れていることと、アフリカや中東からの難民に厳しく対処したつい最近までの動向を比較して、「白人で同じ宗教」だからこれほどまでの“Suddenly welcoming(突然の歓迎)”になったのかと。

www.washingtonpost.com

先進国と呼ばれる国々の中でも断トツの低い難民認定率を誇る(?)日本に暮らす私が言えた義理ではないのですが、たしかにこの「手のひら返し」には割り切れないものを感じます。そして冒頭でご紹介した専門家氏が指摘されていたような「内なる自分の差別」を私も宿していたと認めざるを得ません。

この件に関しては「はてな匿名ダイアリー」にも同様の主旨の投稿がありました。第二次世界大戦後に起こされた戦争でロシアを上回って一番多くの人、なかんずく民間人を殺してきたのは、現在ロシアに対抗して自由主義陣営の旗手を自認するアメリカ合衆国ではなかったかと。

anond.hatelabo.jp

そうなんですよね。とは言っても、もちろん今回の侵攻には憤りを感じますし、だからこそ無関心ではいられません。ただ、今回の事態に関して毎日接する報道のトーンがやや情緒的かつ画一的なのが気になっていただけに、そこに加えて「内なる自分の差別」を指摘されたことを、いまとても大きなものとして受け止めています。

qianchong.hatenablog.com