インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

映画を早送りで見る

気がついたら,ここ数年映画をあまり見ていませんでした。以前は少なくとも週に一本は見るほど大好きだったのに、いまでは一年のうちでも数えるほど。しかも気になった過去の作品を動画配信サイトで購入して見ることは何度かあっても,映画館まで足を運んで見ることはほぼなくなっていました。

仕事が忙しすぎるからという理由はあります。加えて早朝にいろいろな活動を組み入れたので就寝する時間が早くなり、ナイトライフを楽しむことがほとんどなくなったという点もあります。さらには年を取って精力的にあちこち出かけるのが億劫になっているということもあるんでしょう。何だかよろしくない傾向です。

昨日同僚がお昼休みに雑談しているのを何気なく聞いていたら、みなさんいまNetflixに傾倒しているそうです。私はそうしたサブスク全体から全面撤退してしまったので見たことはないのですが、それより驚いたのはNetflixのドラマを「早送りして見る」ということでした。

いや、私もYouTube動画など早送りして見ることが多いので何をいまさらなのですが、情報を仕入れる系統の動画ならともかく、映画やドラマというエンタメ作品を早送りするというのがすごいなと。もはや従来の映画やドラマの鑑賞とは違う行為が立ち現れているわけです。

これも私たちの日々の忙しさの反映なのでしょうか。そういえば私、以前お能の謡(うたい)を倍速で聞いて覚えようとしたことがありました(お師匠、大変申し訳ありません)。発表会で地謡に入る曲が多くて覚えきれないので、時間を節約しつつ覚えようとしたわけです。でも結果は、なぜか記憶がまったく定着しませんでした。

謡が本来持っている速度とかリズムとか間のようなものが、本来の身体感覚と合っていなかったのかもしれません。いや、あるいはアレをもう少し続けていたら、そのうち身体感覚が追いついてきた可能性はありますが。まあそれ以前に、謡を早送りで聞くということそのものが伝統芸能の冒涜のようで、それで心と身体が受けつけなかったのかもしれません。

閑話休題

映画に関しては、字幕が追い切れないから吹き替えに人気があるという話はかなり前から聞いていて、鑑賞のしかたの変化を感じたものでしたが、もはや問題はそんなところにとどまっていません。そのうち映画の冗長さが耐えられないという観客層が増えるのかもしれません。いやすでに増えているからこそのネット配信動画の隆盛なのかもしれません。

ネットで検索してみたら、すでにそういう議論が行われているのでした。例えばこちらの記事。

gendai.ismedia.jp

こちらの記事で、なぜ「ドラマや映画を早送り」という行為が生まれるのか,その背景として映像作品が「供給過多だから」という理由が示されていました。なるほど。供給過多で、あれもこれもの選択肢が多ければ多いほど、人はその受容においてどんどん「ぞんざい」になっていくのでしょうか。

実は私、以前利用していた音楽配信サービスのSpotifyをある時点でやめてしまったのですが、そのときにも同じことを感じていました。自分の前に無尽蔵のコンテンツがあるという設定そのものが、コンテンツに対してとても粗雑な態度を許してしまうような気がしたのでした。

qianchong.hatenablog.com

こう考えてくると、一時停止も早送りもできない映画館での映画鑑賞は、いまやかなり特殊な鑑賞方法ということになります。そのうち演劇でさえ冗長だと思う層が登場してくるのかしら。従来の映画や演劇が廃れていくのか、大切なものとして残されていくのか、それはわかりませんが、私としてはとりあえず今年は映画館で映画をたくさん見たいと思っています。

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https://www.irasutoya.com/2017/06/blog-post_359.html