インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

さよならTwitter

自分にとって本当に必要なものだけを残して、いわゆる「断捨離」を試みる際に、思い出がじゃまをするということはよくあります。冷静になってよく考えれば、いまとこれからの自分にはもう必要がないものなのに、そのものとの付き合いがそれなりにあったために、なかなか思いを断ち切れないという。

そんなときによく推奨されているのが、いきなり手放すのではなく一定期間「保留状態」にしておいて、その後の自分の気持ちを観察するという方法です。捨てようと思っているものをいったんどこかにまとめて隠しておき、ある程度の期間が経ってから本当に捨てるかどうかを判断するのです。

日常的には自分の目に入らないところに隠しておいてある程度経ってみると、その間一度も使わなかった、それでも自分の暮らしには何も支障はなかった……というようなことが冷静に理解できるようになります。もちろんそれまでに「やっぱり必要だった」と思い直すこともあり得ますが、たいていの場合、結局それはなくてもいいものだったと気づいて、さばさばとした気持ちで楽に手放すことができるのです。

今回私がこの方法を使ってみたのは「Twitter」です。前々からTwitterに違和感を覚えていて、やめようと思っていたのですが、なかなか踏み切れませんでした。2011年の東日本大震災の頃から使い始めて、一時期は本当に中毒状態と言えるほどにどっぷりと浸かっていたTwitter。でも最近は違和感のほうが大きくなっていました。

まず、Twitterのタイムラインを眺めていると、どんどん時間を奪い取られていくということがあります。「注意経済」の虜になって、ついついいろいろな事柄や事物に目が行き、ときに不要なものを買ってしまうこともあります。さらに、強すぎる言葉やネガティブな感情に接して、そのたびに心の中がざわつくということもあります。そしてまた、大変に失礼ながら、自分にとってはどうでもいい他人のよしなしごとばかり読まされるというのもあります。

情報が速いのはTwitterの特徴です。テレビでさえTwitterから数日遅れて追っていることがあるほどで、新聞については言わずもがな。また、普段の自分の生活圏では知る由もない全く違う角度からの情報に接することができるという側面もあります。でも毎日毎刻、そんなに必死で新しい情報をキャッチアップしていく必要があるのかと自問するようになったのです。SNSから距離をおいて、自分の時間・自分のペースを取り戻すべきではないのかと。

というわけで今回、Twitterに触れないようにして三週間ほど「寝かせて」みました。結果は……Twitterがなくても日常はこれまで通りに進んでいました。あたり前のことです。そして家族や同僚との会話も増えました(その家族や同僚は誰一人Twitterをやっていません)。これはもう、Twitterにさよならしてもいいですよね。

f:id:QianChong:20211205105559p:plain
https://www.irasutoya.com/2015/03/blog-post_221.html

追記

ところで前言をいきなりひっくり返すようですが、私はTwitterのアカウントをもうひとつ持っています。それはフィンランド語でのみつぶやくアカウントです。自分の勉強のために、一週間に一度くらいのペースでつぶやいたり作文を書いたりしています。こちらはときたま、ほんのときたまフィンランド語の母語話者と思しき方からリプライが入って、その読解やそのリプライに対するフィンランド語での返答がとても勉強になります。このアカウントだけは残そうと思っています。