インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

『葉隠』出てくる人物がまるで自分のことみたい

最近はTwitterをほそぼそと利用するだけにとどめていますが、元から使っているアカウントの他に、もうひとつフィンランド語で作文を書くアカウントを持っています。たまにコメントをもらって、それにフィンランド語で返すのが楽しいのですが、先日はタイムラインにこんなツイートを見つけました。

葉隠』の一節をツイートしているbotのようです。どなたが何のためにツイートしているのかよく分かりませんが、それにしてもこの“Master Tokuhisa”って誰? 私の苗字は徳久というのですが、この姓は佐賀県に多く見られるとのこと。私の実家は福岡県の北九州市で、私自身は佐賀にも福岡にも住んだことはありませんが、父親によるとご先祖様は佐賀の出身らしく、祖父の代の頃に北九州へ引っ越してきたのだとか。

そして『葉隠』は、ご案内の通り江戸中期に書かれた佐賀鍋島藩の書物。武士としての心得や、藩内で起こったさまざまな出来事を記録した書物だそうですが、一般的には「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という一節で有名です。先の戦争における特攻や玉砕の精神的ベースになったという話が流布されていますが、ご専門の方々によるとそれはかなり歪められたイメージのようです。

それでネットを検索してみたら、いくつかのサイトでこの「徳久」氏について解説されているのを見つけました。例えばこちらのnoteにはこんな現代語訳が載っています。

徳久という者は人と変わったところがあり、抜けたように見える男だった。徳久が客を招いた際に”どじょうなます”を出したので、人々は徳久を「徳久殿のどじょうなます」と渾名して嘲笑した。


葉隠とは奇談集成の書とみつけたり 壱」/消雲堂(しょううんどう)さんのnoteより。note.com

これがちょうどTwitterbotで英訳されていた部分ですね。このあとこの徳久氏は「どじょうなます」とからかった人を殿中で切り捨ててしまい、あわや切腹かという局面にいたるのですが(『忠臣蔵』の「松の廊下」みたいですね)、主君からは「武士たる者が、からかわれて黙っているのは臆病である」という理由で免責された……というお話のようです。

武士のありようや武士の身の処し方、その美学について私はあまりよく理解できない人間なのですが、この徳久氏の性格、つまりちょっとエキセントリックでかつ抜けたところもあり、すぐにカッとなるというのは、なんだか他人ごととは思えません。私も最近は歳を取ってかなり枯れてきましたが、昔は本当に血の気が多くて、ずいぶんひとさまにもご迷惑をおかけしました。この徳久氏はうちのご先祖様のお一人なのかもしれません。

驚いたのは、この話を妻にしたら「知ってる。読んだことがあるから」と言ったことです。そうだ、妻は武士道とか戦国武将の話とか田中角栄みたいな昭和の政治家とか、そういったオジサン好みの本が大好きなのでした。私がそちら方面にまったく関心がないので、単にこれまで話さなかっただけのよう。

しかし妻はこの話を、以前帰省したときにうちの父親に聞いてみたそうです。そしたら父親もこの『葉隠』のエピソードを知っていて、言下に「その人はうちのご先祖の系統ではない」と否定したそう。……妻も妻ですけど、父も父です。

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https://www.irasutoya.com/2017/01/blog-post_239.html