インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学に必要な「素直さ」について

声優の専門学校に通ったのち、声優になれる人は100人のうち5人ーー。はてなダイアリーの「今週のはてなブログランキング(2021年10月第3週)」で、はてな匿名ダイアリーのランキングにそんな記事が載っていました。

anond.hatelabo.jp

声優さんを「声を届ける仕事」と考えれば、通訳者にも同じような側面があり、しかもこの記事に書かれていることは基本的に通訳業界ともほとんど同じだと思いました。というか、どんな業界でも同じなんでしょうね。もちろん業界によって必要とされるスキルや特性は少しずつ違って、例えば通訳者だったらこれ以外に外語の語学力も必要ですけれど。

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https://www.irasutoya.com/2016/04/blog-post_289.html

通訳者としては三流、いや四流の私が言うのも大変おこがましいのですが、語学学校や通訳学校で多くの生徒さんに接してきた経験から言えば、この記事で述べられているような「理解力」の多寡は、確かにその方がその業界で活躍できるレベルに至ることができるかどうかの鍵になるように思います。

私的な解釈では、この「理解力」を「素直さ」と言い換えてもいいかなと思います。学校で与えられた課題に対して、その課題が目指していることをすぐに理解できて、かつ素直に取り組んでみることができる力。課題にただ素直に取り組むだけだなんて、一番簡単なことじゃないかと思われるでしょうか。でもそれができない方、苦手な方は存外多いのです。

何かのスキルの習得過程で伸び悩む方というのは、初手から自分のやり方に固執して、素直に目の前の課題に取り組めない方です。ちょっと考えれば、自分にはまだそのスキルが育っていないのだから、スキルを育てるやり方も自分の中にはないはずです。なのに「伸び悩みさん」は初手から「私はこのやり方は好きではない」とか「こんなことをしても上手くはなれない」などと、謎の全能感を発揮されるのです。

例えば、通訳技術に限らず、語学全般(特に聞いて話すスキルを目指す語学)では、ある程度まで「演技」のようなものが必要です。ふだんの自分とは違う声の出し方をしたり、ロールプレイをしたり、自分の気持ちや感覚とは違うことを言ってみたり。

けれど、英語の初学段階で例えば“This is a pen.”が出てきたとして、「そんなの見れば分かるじゃないか、わざわざそんなことをいう必要はない」などと全否定される方がいます。ロールプレイで「何人家族ですか?」と聞かれても「私は一人暮らしですから」とか「プライベートに関することは、ちょっと」などと会話が続かない方がいます。通訳はクライアントの耳に情報が届いてナンボなので、大きな声で訳してくださいと言っても、「私は大きな声が出せません」と、どうしても声量を上げられない方がいます。ありのままの自分とは別の、ちょっと違った自分を作ってみることに大きな抵抗があるのです。

こうした方々は、たいへん申し訳ないですけれど、あまり語学には向いていないように思います。畢竟、母語と違って外語の語学は、人前で恥をかき続け、心折れ続けることの連続なのですから(通訳訓練だってそうです)。そうやって自我に固執し続けて恥を捨てられないでいると、上達もおぼつかないのではないでしょうか。まあ、読み書きだけの語学でよいのなら、それでもいいのかも知れませんが*1

語学で素直に学べない方というのは、プライドが高いのかも知れません。そのプライドを崩されたくない、ぶざまな自分をひとさまにさらけ出したくないので、恥も捨てられない。そして自分をまもるために自分の気持ちや自分のやり方に固執して、素直に課題に取り組んでみようと思えないのではないかと。

もっとも、昨今はロールプレイや演劇訓練など恥をかくタスクをあまり強いると「パワハラ」とか「アカハラ」と言われる可能性もあるので、私も以前のように強く言わなくなりました。素直に課題に取り組めない方に対しては、「じゃあこうしてみましょうか」と次善の策を考えて提案するようにしています。私も歳を取って、少しは丸くなったのかもしれません。

*1:他人と相対することが必須の通訳訓練で挫折しかかると「私は通訳には向いていない。一人で取り組める翻訳に向いている」とおっしゃる方がけっこういらっしゃいます。でも翻訳だって人前で恥をかき続け、心折れ続けることの連続ですよ……。