インタプリタかなくぎ流

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ひとりで暮らす、ひとりを支える

書店でたまたま見つけた高橋絵里香氏の『ひとりで暮らす、ひとりを支えるーーフィンランド高齢者ケアのエスノグラフィ』、とても考えさせられる内容でした。フィンランド南西部の「群島町」(おそらく古都トゥルク近郊の島嶼地域だと思われます)をフィールドとして、長年にわたって行われてきた調査・研究を元にしたエスノグラフィ(民族誌)ですが、研究論文のようでいて、どこか小説やルポルタージュのような雰囲気のある一冊です。

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ひとりで暮らす、ひとりを支える ―フィンランド高齢者ケアのエスノグラフィ―

北欧型福祉国家における高齢者ケアと聞けば、漠然と理想郷的に何もかもが整っている状態を連想しますが、こと人の暮らしに関する事態はもう少し複雑かつ繊細であることがわかります。著者の「複雑なものを複雑なまま理解」しようとするスタンスに共感です。

フィンランドは、世界で最も単身世帯率が高い国なんだそうで*1、独居を選ぶお年寄りも多く、それを地域の福祉システムができるだけ支えるというのも印象的でした。「人間は一人一人が異なる感覚や考え方を持っているのだから、そこに介入すべきではないという個人主義の思想が通底しているのではないだろうか」と筆者はおっしゃいます。

日本では、例えば生活保護の問題にしても、みんなが我慢している中で少数のワガママを許すないう論調がよく見られますが、かの地では「公的な援助によって少し楽をする人がいたとしても、援助を受けていない人が楽をしている人から直接危害を被っているわけではないのだから避難する筋合いではないという考え方があるよう」だとのこと。

私はこの考え方にけっこう「ぐっ」ときます。そりゃ誰かがワガママを言えば、回り回って自分の損になる(だから許さん)という考え方もできるけれど、もともと社会保障って個々人の損得を超えたところで設計されるべきものですよね。いまの日本はそのおおもとを忘れかけるくらいみんな余裕がないのかもしれません*2

それでもこの本は、冒頭にも書いたように「複雑なものを複雑なまま理解しよう」というスタンスに貫かれていて、単純な賛美あるいは批判に偏っていません。またフィンランドでも近年「ネオリベ」的な考え方の拡張につれて、こうしたケアの民間委託が進みつつあり、これまでのようなきめの細かいサービスが今後も維持できるかどうかは微妙な局面を迎えているようです。

単純な理想郷として描くことをしないのはもちろん、あえて統一された包括的な捉え方や語りもせずに、それでもかの国の高齢者ケアの底流となっているものは何なのかを見極めようとされている点がとてもいいなと思いました。その意味でも世に数多ある「フィンランド本」とは一線を画しています。

*1:若年層でも「ひきこもり」が多いらしく、英語同様に“Hikikomori”が外来語として定着しているほか、“Hikikomero”という「自称」まで登場しているよし。https://yle.fi/uutiset/3-8390974

*2:例えば「慈善援助財団(Charities Aid Foundation)の調査における「募金する人の割合」では、日本は「いわゆる先進国の中ではほぼ最下位」なんだそうです。