インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

裾野を広げる

作家・演出家である鴻上尚史氏の『演劇入門』を読みました。演劇と、映像(映画やドラマ)あるいは小説との違いについて論じた部分など、なるほどと得心できる内容が多かったのですが、「終わりに(あとがき)」の部分に書かれていた「裾野を広げる」というお話にも共感しました。

アートには二つの方向があります。(中略)山の頂点を引き上げる方向と裾野を広げていく方向です。派手で目立つのは、山の頂点を引き上げる方です。けれど、裾野を広げることも、まったく同じぐらい重要なことなのです。(262ページ)

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演劇入門 生きることは演じること (集英社新書)

鴻上氏はこの話をもちろん、演劇や音楽などの芸術、さらにはスポーツ業界を例に挙げて語っています。ひとにぎりの人たちが頂点を目指すことにのみに価値を置くようになると、やがてその分野は先細って行ってしまうと。「頂点を高くするためには、豊かな裾野がないとダメ」だと。これは芸術やスポーツ以外のどんな分野にも共通するお話ではないでしょうか。

「アート(art)」は辞書の第一義的には芸術や芸術作品を表しますが、他にも「技術」や「技能」、「能力」といった意味もあります。あのエーリッヒ・フロムの名著『愛するということ』も、原題は“The Art of Loving”です。つまりアートは、より豊かに生きるための方策や営為と捉えることもできるのではないか。そしてその「アート」はひとにぎりのハイエンドだけでなく万人にとって欠かせないものなのではないかと思うのです。

これはまた、何かを志してその道でプロや一流になれなかったとしても、それを失敗や挫折と捉えなくてもいいということでもあります。高みを目指すのはすばらしいことですけど、裾野を広げるのもまた大切なことです。そして私を含めてほとんどの人は、その裾野を広げる側にまわるのです。

高みを目指して上ばかり見ていると、裾野の存在を忘れてしまいがちになります。世の中は自分が想像しているよりもずっと広く、その広い世の中で自分の持ち場や役割は何だろう、自分には何ができるだろうか(そして何ができないだろうか)と考えること。それは「自分を誰かと比べない」ということにも通じるかもしれません。

頂点を目指せば、その少ないポジションを目指して誰かと常に競うことになります。おのずと上下が生まれ、ヒエラルキーが生まれ、権威が生まれる。そうやって人と比べることが常態化すると、その「アート」をどんどん楽しめなくなります。抜きん出た才能に学ぶことも大切だけれど、自分は自分のフィールドで裾野を広げる仕事をしているのだと考えるほうが、結果として自分の人生も豊かにしてくれるのではないか。そんなことを考えました。