インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

いい文章を読む

職場の図書館に行って新聞と雑誌をいくつか読みました。うちの学校の図書館は新聞や雑誌の「品揃え」がとてもよくて、内外のファッション・アートを中心に、文学や社会科学などのお堅い専門誌から、外国語の新聞まで最新版とバックナンバーが読めます。『人民日報』まであるんですよ。ほとんど読まれている気配はありませんが。

ユニクロファーストリテイリングが出している『LifeWear magazine』という広報誌もあって、最新号には作家の村上春樹氏へのインタビューが載っていました(ネットでも読めます)。

f:id:QianChong:20210728121452p:plain:w200

興味を引かれた発言がふたつありました。ひとつはSNSを一切見ないことについてです。

大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない。

なるほど。たしかにSNSは、それも昨今のそれは情報の入手先としては重宝しますし、学ばされる発言もたくさんありますけど、それを圧倒的に上回る罵詈雑言と匿名の方々による放言に満ちています。ちょっとノイズが多すぎるかなと最近は感じ、自分もそのノイズの一端をになったいることにも疚しさのようなものを感じて、少し引き気味で眺めています。

そして良い翻訳にするために欠かせないことについてという質問。

耳。音感が悪いと良い翻訳はできないですよ。そもそも英語という横の文章を縦に直すわけですから、無理があるんですよ。そういう無理があるものを読みやすくするにはどうすればいいかというと、文章の流れを耳で聴かなくちゃ駄目なんですよね。別に声に出さなくても、目で読みながら耳で聴くんですよ、その文章を。そういう能力が必要になってくる。言葉の選び方、句読点の打ち方、全部その人の音感で決まってくるので。

だからこそ、いい音楽を聴いて、いい文章を読まなければならないと。

学校の現場で夏休み期間中は、通常の授業がないかわりに、ふだん後手後手に回っていた教材作りや新しい教材の開発や、そのための「充電」としていろいろな書籍や資料を読むことが中心になる特別な時間帯なんですけど、この夏はとりわけ意識していい文章を探し、読もうと思いました。SNSからはちょっとだけ距離を置いて。