インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

もう国や都など信頼しない

東京都に三度目の緊急事態宣言発出ということで、またまた暮らしに大きな変化が……起きていません、これが。「コロナ慣れ」とか「コロナ疲れ」というわけでもなく、確かに感染者数は増加傾向なので自分も感染しない・感染させないことに努めて気をつけようとは思っていますが、菅義偉氏や小池百合子氏の要請に素直に耳を傾けられないというか、もう愛想が尽きたというか。

諸外国で奏功している「検査と隔離」を一年以上経っても積極的に行わず、ワクチンの確保でも諸外国の後塵を拝し(というか外交力・交渉力で負け)、言葉遊びのように何度も「宣言」を出す一方で補償はとことん渋りまくる。私だけではなくて多くの人が「もう国や都などは頼りにならないから、自分の判断で前に進もう」と考えているのではないでしょうか。いくら行動変容を求めても、もう多くの人が聞く耳を持たなくなってる。コロナ禍のずっと以前から始まっていたことですが、この一年あまりでぷつりと切れてしまった為政者への信頼や期待の代償は、今後日本社会に深い影響を残していくだろうと思います。
qianchong.hatenablog.com
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毎朝通っているジムは、1000平方メートル以上の大型施設なので、明日から全面休業になりました。でももう一つ通っているジムは小規模なので、感染対策をしながら営業を続けるそうです。昨日行ってみたら、当然のように「うちはこれまで通りですから」とスタッフが言っていました。私はそこに「もう政府などは信頼せず、自分たちの責任でやっていく」という自負と抵抗のようなものを感じました。

東京に四つある寄席も「『社会生活の維持に必要なもの』に該当する」という自らの判断で営業を続けていくと報じられていました。東京のとあるミニシアターも休業協力金が一日二万円という額であることに対して「香典のつもりか」と皮肉り、営業を続けるのだそうです。いずれも、もう国や都など信頼しない。自分たちの判断で、自分が正しいと信じた道を行く、という態度表明だと思います。

私自身は、これはとても健全なあり方ではないかと思っています。それぞれが自らの判断で自律的に困難に立ち向かっていくという姿勢を示しているのですから。もちろん、本来なら行政との相互信頼関係があって、より本質的な対処が行えるのが理想的ですけど、明らかに五輪優先、あるいは次の選挙優先で動いているとしか思えない為政者に不服従の態度を示し、なおかつ自分の頭で考えて判断していくというのはいいことではないかと。

私が勤めている学校でも、オンライン授業と対面授業を組み合わせて、なるべく学生が密にならないように気をつけながら授業を行っています。それは緊急事態宣言の発出前後で何ら変わるものではありません。もちろん社会全体で感染者が増えている以上、身近で感染が広まる可能性もありますが、少なくとも「まんぼう」だの「緊急事態宣言」だのでそのつどオタオタしない! という度胸のようなものは身についたような気がします。何だか一抹の悲しさや寂しさや情けなさが漂いますけど。

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