インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「ユルさ」が足りません

春からの新年度が始まりまして、いくつかの学校で担当しているクラスも授業がスタートしました。留学生だけのクラスもあれば、日本語の母語話者と非母語話者の混成クラスもあります。留学生のクラスも、華人留学生のみのクラスもあれば、いろいろな国や地域からの留学生が混在しているクラスもあります。

どのクラスでもそうなのですが、この歳になっても授業の開始前はいまだに少々緊張します。教材はちゃんと作ってあるし、教案も立ててあるし、大まかな授業の流れも考えてあるのですが、それでも「何かトラブルがあったら……」という気持ちが抜けきらないのです。本質的に小心者なんでしょうね。けれど、授業の内容を事前に考えすぎると、却ってつまらない授業になるという経験則もあります。それで、毎回の授業が毎回とも一回限りのライブみたいな感覚になります。

駆け出しの頃は「これくらいの時間でこれを説明して、その後練習にこれくらい、そこで休憩を取って……」などと細かく考えていました。が、往々にしてそううまくは行かない上に、授業もつまらないものになるのです。むしろその場の雰囲気に合わせてアドリブを効かせた方がよいこともあります。というか、初手から授業を「こうやってこうやって……」と決めておくというのは、学生さんの存在をまったく無視していますよね。

しかし……。

昨年あたりから、こうしたやり方にもなんとなく「頭打ち感」を覚えるようになりました。どうも学生さんたちが「ノッて」いないというか、楽しそうじゃないというか。それに自分自身もあんまり楽しくないと思うようになってしまったのです。スランプというやつでしょうか。それで同僚に相談してみたところ、こんなことを言われました。

「ユルさ」が足りないんじゃない?

自分で言うのもなんですが、私はどちらかというと几帳面で生真面目なほうで、授業にあたってきっちり準備をしたがる方です。もとより小心者だから、少なからぬ学費を払っている学生さんに、その学費に見合うだけの授業をやらなきゃと自分にプレッシャーを与えてしまう。

もちろんそれは基本的には正しいと思います。某通訳学校では大御所の通訳者さんが「ちゃら〜ん」と学校にやってきて「ええっと、今日私は何を教えればいいんだっけ?」なんてなことを事務方のスタッフに聞いているところを目撃したことがありますが、ああいうふうになっちゃいけないなとは思う。でも、私は授業に対して生真面目に臨みすぎるがゆえに、余裕がなくなってるのではないかと同僚は言うのですね。「なにかの原因で、自分の理想の状態から外れると、表情が険しくなってるんじゃない?」

いや、よくおわかりで。そういう険しい表情になればなるほど、生徒側も萎縮して「ノらなく」なるのかな。というわけで、もう少し「ユルく」授業をするべく努力してみようと思いました。……って、「ユルさ」を醸し出すべく努力しているようでは全然「ユルく」ないわけですが。

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