インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

2011年3月11日のツイート

「3.11」から10年ということで、報道各社が特集を組んでいます。新聞やテレビなど、数日前からそうした報道特集のいくつかに接してきましたが、当時を思い出して様々な感慨にふける一方で、どこか違和感のようなものも拭えませんでした。特に「復興」とか「教訓」とか「明日に向かって」のようなフレーズが強調されているものに対して。もちろんそれらも大切な言葉ではありますが、なにかこう、もう過去のこと・終わったこととして扱うようなスタンスを嗅ぎ取ってしまうのです。

実際には復興への注力もそこそこに、そして福島第一原子力発電所事故についてはその後始末もまだ端緒についたばかりであるのに、「アンダーコントロール」とかなんとか言っちゃって、オリンピック・パラリンピックに税金を含む巨費を投じてきたあげくにこのコロナ禍。現時点ではまだ福島から聖火リレーを始めようとしているようですし、あの日々の痛みを何かで急速に上書きして小綺麗なものにしてしまおうとするような不謹慎さを感じます。まだまだ震災被害は終わっていないし、原発事故の責任の所在も明らかにされていません。

そんな中で、薄れつつある当時の記憶を思い起こすために、当時Twitterでつぶやかれたツイートを地図上にマッピングするプロジェクトについて紹介した記事を読みました。

www.nhk.or.jp

当時のツイッターには、その時その時の人々の心が写しとられた状態で残っています。自分が忘れかけていたその日の出来事と接続して、リアルにその時を思い出せるようなトリガーになるものが多かったので、それをより多くの人に伝わりやすい形で提供できないかなって考えたのが、作るきっかけです。

なるほど。確かにTwitterのつぶやきは、とてもリアルな心のうちを示しているものかもしれません。特に当時はまだTwitterが使い始められてから日が浅く、現在のような「バズりネタ」重視やマウンティング目的のツイートで騒々しい場所というよりは、かなり素朴でまさに「つぶやき」という言葉がよりフィットするような場所だったような気がします。

じゃあ自分はどんなことをつぶやいていたのかと気になって、「twilog」で2011年3月11日のツイートを確認してみました。

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当時は飯田橋にある職場にいて、徒歩で西早稲田の自宅まで帰りました。Twitterがずっと機能し続けていてくれて、とても頼もしいなと思ったことを覚えています。部屋は13階にあったので地上より大きく揺れたのか、中はぐちゃぐちゃになっていました。そういえば13階まで階段を上ったのでした。そして、この時点では大津波のことも原発事故のこともまだほとんど知らない状態でした。それからの日々はいまでも深く印象に残っています。特に原発事故が深刻化してからは、かなりじりじりとした数日間を過ごしました。不思議に慌てたり取り乱したりはしませんでしたが。

こうやって当時のツイートを読んでいると、深い印象に残っているはずなのに忘れてしまっていた細々とした記憶がよみがえってきます。もう一度当時の気持ちに戻ってこの震災と原発事故を考えるよいきっかけになりました。14:46には私も職場で黙祷をしようと思っています。

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