インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

妻が口をきいてくれません

野原広子氏の『妻が口をきいてくれません』を読みました。私は気になった本はとりあえず片っ端から買って読んでみることにしているんですけど、ネットで話題になっていたこの本は、買って、読み終わって後悔しました。その救いのない幕切れの後味があまりにも悪すぎるからです。いえ、幕切れにはわずかに救いがあるように描かれていますが、そこに至るまでに妻が夫に対して六年間もの間行ってきた、ほとんど精神的虐待、あるいはドメスティック・バイオレンスとも言えるレベルの「無視」が恐ろしすぎて、とてもではないけれど後味の悪さを中和できませんでした。

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妻が口をきいてくれません

確かに夫の妻に対する無神経さや家事労働に対する無理解、一人の大人としての自立・自律のなさ、さらには妻を「ママ」と呼んでしまう幼稚な男性性など、夫へのツッコミどころは満載です。しかし、だからといってここまで陰湿で執念深い「ハラスメント」は度を超しています。夫はもちろん、妻自身にとっても、また子供たちにとっても救いのない復讐譚。フィクションであることを踏まえても(作者は知人の実体験から作品の構想を思いついたそうですが)、これはエンタメとして成立するのかどうかすら危ういと思いました。

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しかし、そこまでの悪い後味を残しながらも、私がこの作品を最後まで読んでしまったのは、ここに描かれている妻のある意味「破滅的」な願望に近いものが私の中にもあるかもしれないと感じるからです。誰かを無視し続けるという、それ自体はおそらく何も生み出さないであろう徒労をあえて選び、自他共に傷ついていく。そうした負のエネルギーみたいなものだけが自分を支えてくれるということはあるんですよね。いまはもう歳を取って心身ともに衰えてきましたからそんなことはできませんが、若い頃は私も同じような生き方をしていた時期がありました。

私が最初に勤めた職場はそれなりにやりがいのある場所でしたが、反面とても理不尽な慣習が横行してもいました。私はそうした不合理に対して理詰めで(といっても今から考えればかなり稚拙な)無数のアプローチを行い、それらがことごとく無効化されるにいたって、ある日「ぷつっ」と糸が切れたような感覚になりました(この作品でも妻に「その日」が訪れます)。それから私は一年間ほど、必要最低限の言葉以外ほとんど誰とも口をきかずに仕事を続けました。結局は一年ほどで私が退職してその抵抗(?)は終わったのですが、いま考えるとあれは破滅的でありながら、先が見えなくて不安になっている自分を鼓舞する唯一の方法だったのかなと思います(周りは大迷惑だったでしょうけど)。

自分が絶対に正しい、あるいは自分が決めたルールを死守することこそ善、みたいな思い込みは、若い頃には程度の差はあれ誰にでもあることではないかと思います。血気にはやった若者とか、若気の至りなどと称される若い頃の「おバカ」な行動のかなりの部分は、そういう思い込みに端を発しているのではないでしょうか。でもそれが周りから「若いねえ」と揶揄されるレベルならまだ可愛いものの、このマンガのようにほとんど一つの人格を破壊させる寸前まで行ってしまうのは、あきらかに害悪だと思います。例えばかつての中国の文化大革命など、それが大規模かつ極限にまで行われた一つの例でしょう。

この作品はネットで大いに話題になったそうですから、そのぶん多くの人にさまざまな読後感をもたらしたことでしょう。この作品を読んで、特にお若い方々が自らの独善を省みる中和剤になればいいなと思いますけど(凝り固まった中高年のじじい共には、もうほとんど期待できません)……私が後味の悪さを中和できなかったのと同様、それはちょっと難しいかもしれません。この後味の悪さは映画『ミスト』(スティーヴン・キング原作/フランク・ダラボン監督)に匹敵すると思います。ただ、あの映画はまだ人間の「業」みたいなものを考えさせてくれましたけど、このマンガは……。

ちょうど新年を迎えるところですから、気持ちを切り換えて行きましょう。