インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

なぜ人は「老害」になるのか

先日、「老害」に関する二つの記事を読みました。高須賀氏の「なぜ人は、仕事を辞めると劣化してしまうのか。」と、その記事を受けて書かれた熊代亨氏の「スーパー、コンビニ、タワーマンションは『老害製造装置』。」です。
blog.tinect.jp
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高須賀氏は、仕事をしているときは生活のため、家計のためと割り切って他人の目を気にしながらも生きてきたものの、その仕事から開放された退職後に老害化が一気に進むと論じています。「老害とは“他人の目をビクビクと気にしたくない”という、私達の”なりたかった姿”の果て」であり、「『実は私達は誰もが老害になりたい』という願望を持っている」のだと。

また熊代亨氏は、そうした他人の目を最大限意識しないでいられる構造として、都会の生活環境、なかでもとりわけ「個」の環境が保たれる「ニュータウンタワーマンションワンルームマンション」を挙げ、そうした他人からの干渉を極力排した環境で生きていけることが老害化を一層後押しすると論じています。

なるほど、いずれも他人との面倒くさいコミュニケーションを極限まで削ぎ落として行った結果、人は独善的になり外部への想像力が衰えていくというのはとてもわかりやすいと思いました。

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https://www.irasutoya.com/2014/03/blog-post_4378.html

私には、かつて帰農を目指して九州の田舎に移り住んだものの、田舎特有の面倒な人間関係やコミュニケーションにほとほと疲れ果てて五年で東京に舞い戻った過去があります。だから都会のマンション暮らしがいかにストレスの少ない生活であるか、そのありがたさが身にしみて分かります。

都会でも庭付き一軒家などご近所との軋轢からは無縁ではありませんが(雑草や庭木の落ち葉などを巡って、また土地全体のメンテナンスを巡って、結構なストレスがかかります)、マンションはそうした軋轢がほぼ皆無。私は首都圏でもう何度も引っ越しを繰り返していますが、物件を探す際の最重要ポイントは「防音」。とにかく上下左右のご近所からの物理的・精神的な「隔離」こそストレスのない暮らしに欠かせないものだという認識があります。

けれども、上掲の二本の記事は、そうした他人との摩擦を極力避けようという志向は他人との(ある意味面倒くさい)コミュニケーションを極力ミュートしてしまいたいという願望であり、それこそが「老害」と表裏一体になっているのだという指摘であるわけです。私はもう中高年から老年へと差し掛かっている人間ですが、この指摘はとても示唆に富んでいると感じました。

その上で「老害」に陥らないために、そして「有害な男性性」をこじらせたようなジイサンにならないために、何ができるでしょうか。これはよほど意識して考えていかないと、自分もまたその「ダークサイド」に堕ちてしまうような気がしています。

qianchong.hatenablog.com

……しかし。私が九州の田舎で暮らしていたときの経験から行くと、濃密なコミュニケーションで満たされており、他人との関わりが自らのタコツボ化を防いでくれるはずの地域社会にも「老害」的な存在はけっこういたんですよね。むしろ人間関係の流動性が極端に低いだけに、そうした「老害」的存在の頑迷さは都会の比ではなかったようにも思います。

そう考えてくると、人が「老害」的な存在になっていくプロセスには人とのコミュニケーション不全以外にもまだまだ要因がありそうです。それを見つけ、注意深く取り除いていくことが、中高年から老年に至ろうとしている自分の課題だろうなと思います。