インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

重力は裏切らない

「人は裏切るけど、ダンベルは裏切らない」。これは確かTestosterone氏の名言だったと思います。「ダンベル」じゃなくて「バーベル」、あるいは「筋肉」だったかもしれません。

でもとにかく、時と場合と立場と都合でいかようにも変わりうる人間の心に比べて、筋トレのウェイトはいつでもどこでも同じ。宇宙に行って無重力の環境にでもならない限り、100kgは100kgで、国や地域や思想やイデオロギーが違ったって変わらないのです。

実はこの名言、ジムでトレーナーさんたちと話すときには一種の諧謔というか、お笑いのネタみたいに扱われるのですが、面白いのはそれでひとしきり笑ったあと、「でも、実際そうなんですよね」とお互い急に神妙な面持ちになるところです。筋トレをやった人にしかわからない、あの絶対的な重力の存在感が、その神妙さを引き寄せているような気がします。

挙げることができるウェイトは、本当に少しずつしか上がっていかない。それは地道なトレーニングの末に得られるものであって、どんなお金持ちが大金を積んでも絶対に得られない。そういう、極めて単純だけれども奥深い真理みたいなものが感じられるのです。傍目には「アブない人たち」に見えるでしょうけどね。

この間、ベンチプレスの60kgを初めて1セット12回挙げることができました。たった1回だけ挙げるなら80kgくらいまでやったことがありますが、1セット挙げるのはなかなか難しいです。60kgというとまだ自重にも達していないのですが、最初は40kgだって1セット挙げるのがやっとだったのからすれば、ずいぶん進んできたと思います。この年になってもできる数字が上がっていくのは本当に楽しいです(血圧みたいな数字はほっといても上がっていきますが)。

ウェイトが上がっていくに連れ、トレーナーさんからはより細かい「奥義」が伝えられるようになりました。それは「ウェイトが下がり切る瞬間を利用して挙げる」だの「腰をベンチプレス台に押し付けるようにして胸を押し出す」だの「両手を近づけるようなつもりで胸を絞る(実際には手はバーベルを支えているので近づけられない)」だの、ほとんど禅の公案とその見解みたいな世界です。

しかし、より重いウェイトが挙げられるようになってきて初めて、それらの一見不可思議な指示が「なるほど」と腑に落ちる部分があるんですね。たぶん以前に言われていたら全く理解できなかったであろうそれらが、ある実感を伴って「なるほど」と思える。単に重力に逆らって重いものを挙げるだけの行為に、ものすごく奥深いものを感じるのです。筋トレにハマる人はとかく「カッコよくなりたい」とか、あまつさえ「モテたい」みたいな軽薄さのカテゴリーに押し込められがちですが、実はそういう深遠なところに惹かれてるんじゃないかと思います。

f:id:QianChong:20200714101116p:plain
https://www.irasutoya.com/2015/10/blog-post_105.html