インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

10年後に食える仕事 食えない仕事

先日、住んでいる区の区役所から「特別区民税・都民税通知書」という分厚い封筒が届きました。毎年のことですけど、紙の納付書が五枚も同封されています。一括納付専用の一枚と、分割納付用(6月・8月・10月・翌年1月)の四枚。私は毎年一括して納付している上に、Yahoo! 公金支払いでクレジット納付なのでこれらの納付書は全く使わないため、毎年「もったいないなあ」と思っています。

通知書のご案内と称した刷り物や「税額決定・納税通知書」まで入っており、それをまた日本郵便の配達員さんがポストまで届けてくれる……こういうのこそメール一本で済むんじゃないかと思うんですけど、記憶にある限り昭和の昔からひとつも変わっていませんよね。そんなことを考えているときに、たまたまこの本を読みました。渡邉正裕氏の『10年後に食える仕事 食えない仕事』です。

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10年後に食える仕事 食えない仕事: AI、ロボット化で変わる職のカタチ

この本によれば、こうした税金関係のお知らせは「法律で決まっていて全員に一律で送ることになっています」とのこと。私に届いた封筒には「口座振替依頼書」も入っていて、これを利用すれば自動引落になってペーパーレスが実現するのかなと思いきや、すでにそうされている渡邉氏のもとにも毎年紙が送られてくるのだそうです。なるほど「失われた○十年」じゃないですけど、本当にこういう時代遅れなところは変わらないんだなと天を仰ぎました。

この件に限らず、この本の第三章と第四章は、この国のあまりにも時代遅れで時代錯誤なあり様に対する筆者の静かな怒りがふつふつと湧いています。書名通り、これから先自分の今やっている仕事はどうなっていくのかしらという「ナマ」な動機で読み始めた本書でしたが、むしろ日本政府のいまのあり様に対する強い問題提起の部分をこそ興味深く読みました。

「AI化」で消える仕事・残る仕事についても、センセーショナルに不安を煽るようなやり方ではなく、それぞれの仕事の特徴を注意深く腑分けしながら、わかりやすいマッピングに落とし込んでいて説得力があります。私の仕事のフィールドである語学関連についても、Google翻訳やその他のAIによる通訳・翻訳が日進月歩で進化し続けていると喧伝されるなか、学校でも「この仕事に将来はあるんでしょうか」と学生さんから聞かれることが多いのですが、渡邉氏は明確に「AIにはできない」と述べます。

詳しくはぜひ本書にあたっていただきたいのですが、観光旅行レベルの通訳や、概略を大まかに掴む程度の翻訳、あるいは翻訳者のサポートツールとしての機能程度であればかなりの部分が代替されるだろうとしながらも、「文脈や話の流れを理解して」訳すとか、膨大な人間界の常識をすべて自動でインプットしていくといったようなことがAIにできない以上、AIが人間並みの「理解」を獲得して通訳や翻訳を代替することは「永遠にできない」と言うのです。

AIが機械学習レンブラントの画風を自ら獲得したとか、猫の映像を学習し続けてついに猫の概念を獲得したなどというニュースが、半ばセンセーショナルに、そして半ば不確かな背景知識の理解とともに伝わってきて、私たち門外漢はつい不安になるのですが、本書を読むとそういう生半可な理解がいかに雑駁であるかが分かります。そう、あの「シンギュラリティ」についての理解も。

人間ならではの感情や創造が不可欠で、かつ高度な日本語力やコミュニケーション能力を必要とする職種について、本書では「デジタル・ケンタウロス」という名称を与えています。人間とAIとの相乗効果によって労働生産性が上がっていくという状態を「人獣一体」のケンタウロスにたとえているわけです。通訳者や翻訳者の仕事は、デジタル・ケンタウロスというより「職人芸」的な位置づけなのだそうですが、それでも感情を読み創造力が必要な「人間が強い」仕事であることは論を俟ちません。

これから学生さんに「AIの進化で通訳や翻訳の仕事は……」と弱気な相談を持ちかけられたら、この本をおすすめしようと思います。20代、30代のお若い方に特におすすめ。あと余談ですけど、この本を読んで私は「マイナンバー」に対する功罪についての考え方がちょっと変わりました。コロナ禍への対応で画期的な成果を上げたアジアのIT先進諸国の実践も見るにつけ、きちんと知ることなく忌避し続けるのは知的な退廃かも知れないと思ったのです。もっと腰を据えて学んでみようと思っています。