新型コロナウイルス感染症の状況が落ち着いてきたとして、学校現場では対面授業への復帰が始まっています。うちの学校でも来週から限定的ながら従来どおりのカリキュラムで対面授業が復活することになりました。限定的というのは、授業や実習によっては「三密」が避けられないものがあり、それについては引き続きオンラインのLMS等を利用した授業を続けていこうとしているからです。
私が担当している学生さんは全員が外国人留学生で、2月3月頃の感染拡大期から今日に至るまで日本に残り続けて来週の対面授業再開にこぎつけたわけですから、みなさんとても喜んでいます。でもその一方で、母国へ一時帰国帰してしまったがゆえに再来日ができず、学業を続けられないかもしれないと悩んでいる学生もいます。
うちの学校は教務(事務局)があらかじめメールと書面で在校留学生に注意喚起を行っていました。感染拡大の状況が読めないということで一時的に帰国する場合、そのリスクもあることを十分に理解しておいてほしいと。つまり今後感染状況が収束しても、すぐに日本に戻ってこられるとは限らないこと、その状況が長引けば出席や単位の面で不利益を被る可能性があること、などなどです。
母国のご家族も心配しているということで、この注意喚起を十分に理解した旨サインをして、一時帰国していった学生もいます。その一方で、せっかくの留学のチャンスをダメにしたくないということで、心細いながらも日本に残り続けた学生もいます。そのいずれも私は気持ちが十分わかるので同情もしますし、メールやオンライン授業などで励まし続けてもきました。
しかし、中には注意喚起を無視してサインもせず勝手に帰国してしまい、今になって再入国できないけどなんとか授業を受けさせてほしいと泣きついてくる学生もいて、私はなんとも複雑な気持ちになってしまいました。個人的には、新型コロナウイルスの蔓延という未曾有の状況に直面して留学の計画が狂いかけているわけですから同情の気持ちはあります。でもその一方できちんと義務を果たさずに権利だけ主張するのはどうだろうとも思うのです。
ここは日本という外国です。そしてうちの学校は大人が自分の意志で判断して学びを選択する専門学校です。留学に限らず仕事でも旅行でも、「よそ様」の国に行けば、自分の国と同じように何もかも思いのままに行くわけではありません(自分の国だって何もかも思いのままには行かないけど)。私は海外に住んだり旅行したりする時は、自分の行動をできるだけ「内輪内輪ではかる*1」ようにしています。自分の国にいる時以上にリスクには敏感になるし、行動も「八掛け、七掛け」くらいで考える。そしてよそ様の国にお邪魔しているというひとかけらの謙虚さを常に持つ。
これ、一歩間違うと、だからガイジンは黙っとれみたいなヘイトと紙一重にまで近づきますから注意深く考える必要がありますが、よその国に行くというのは、そういうリスクを把握した上で自制がより必要な行為だと思うのです。
中国や台湾で学んだり働いたりしていた時、人々の風俗習慣の違いから、あるいは思想信条の違いから、はたまた異文化ギャップなどの理由から、私もいろいろと不利益をこうむりましたし、理不尽な目にあったことも数知れません。でもそんな時、こちらがいくら抗議しても、かの地の人はいつも最後にこのひとことでピシャっと「処理」するんですよね。“國情不一樣(国情が違いますから)”。
もちろん、親身になって助けてくれる人も少なからずいました。だから中国や台湾の華人がみんなそうだというつもりは毛頭ありません。でも私はこの“國情不一樣”というにべもない一言に、逆によその国に暮らすということはどういうことか、異文化と付き合うとはどういうことかを教えてもらったような気もしています。異文化に暮らす子どもたちについては、これは親など大人の責任ですから別のカテゴリーですが、大人の留学生にはもう少しこの辺りを理解してほしいと思って、実際折に触れて私はそういう話をしています。
留学は楽しい、そしてかけがえのない経験です。私も中国に留学していた時期をいまでも「人生最高の日々」だと思っています。でもそこにはリスクを見極める姿勢が大切だし、よその国に居させてもらっているという謙虚さも必要だと思うのです。上述した、学校の注意喚起を「無視」して帰国してしまい、いま再入国できなくて悩んでいる留学生の中には、なんとか学校が対応策を考えるべきだと「要求」してくる人もいます。私は、ことにその人たちをよく見知っているだけについ同情の気持ちを持つのですが、いやいや、そうじゃないだろうとも思う。複雑な気持ちになると書いたゆえんです。
https://www.irasutoya.com/2016/01/blog-post_798.html
*1:落語「火焔太鼓」。