インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

オンライン授業にありがちな「落とし穴」

オンライン授業(遠隔授業)を始めて、いろいろと気づいたことがあります。そのひとつは、文字ベースにせよ映像ベースにせよ、コミュニケーションへのより細やかな配慮が必要になるという点です。対面授業ではリアルタイムでの口頭でのコミュニケーションで済ませていたところを、すべて文字(文書)なり映像なりに盛り込まなければならない。これがけっこう気を遣って大変だな、しんどいな、と思いました。

しかも対面授業では、その場で相手の反応を見ながら言い方を変えたり、言い直したり、その都度相手から届く疑問や質問に答えたりして、リアルタイムで理解の齟齬や誤解を解消する試みが不断になされます。相手の表情で理解されたかどうかを即時に「体感」することもできる。それがオンライン授業ではなかなかスムーズに行かず、その結果、勘違いや思い違いや誤解が長く残り続けて、双方に「もやもや」したものが残るのです。

これは「非同期」型の授業で特徴的に現れます。課題を送り、その課題が提出されてくるまでにタイムラグがあるのですから当然です。メールのやり取りでも同じような誤解は生じますし、TwitterやLINEのようなSNSのメッセージのやり取りでも、ちょっとした書き方や表現によって気持ちのすれ違いや誤解が生じることはよくありますよね。また「同期」型の授業でも同じようなすれ違いや誤解は生じます。相手がインタラクティブなやり取りに非積極的である場合は特に(映像や音声をミュートしたままとか、反応を返さないとか)。

またGoogle ClassroomのようなLMS(学習管理システム:Learning Management System)を使ったやり取りも、まだお互いが使い方に習熟していないという側面はあるものの、どうにも「隔靴掻痒感」が否めません。例えば課題を送出して、それが確実に届いて、課題に取り組み始めたのかどうか、どれくらいの進度で課題をこなしているのか、また学生側からすれば課題を返送して教師がそれを確実に受け取ったのか、その後どんな反応があるのか……こうした様々な部分での「相手の存在の希薄感」とでもいったようなものが、なにか「もやもや」とした気持ちを醸し出しているような気がするのです。

オンライン授業というのはもともとそういうものだよ、むしろ対面授業ではできないことをオンライン授業に求めていくべき、オンライン授業で開発していくべきで、隔靴掻痒感や「もやもや」感を抱えているのはまだ対面授業の発想から完全に抜け出していないからだよ、という声も聞かれます。いや、まさにそういうことなんでしょうけど、私は生身の人間が相対してその都度、反応し・反応されながら進められる学びというものも必要なんだな、むしろそれでしかできない学びもあるのかも知れないな、と思い始めています。

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https://www.irasutoya.com/2015/08/blog-post_36.html

あともうひとつ、LMSを使ったオンライン授業ではとにかくメールやメッセージやリマインダーがひっきりなしに届きます。初動のいまは特に、全体がどう流れているのかを把握したいのでそうした「届きもの」はすべてオンにしていますが、ある程度軌道に乗ったらオフにするものを選んでいくのが大切ではないかなと思いました。なにせ、昼夜を問わず届くのです。特に「非同期」型の授業で課題を出している場合、学生さんは自分の生活の中でいつでも課題に取り組めますから、夜型の人など深夜に送ってきたり、質問してきたりする。そういうのにも一つ一つ対応していると、実質24時間スタンバイ状態に陥りかねません。

メールは届いたらすぐ返信というの、サラリーマンの時に教え込まれましたし、フリーランスのときにはなおさら自らに課していました(じゃないと仕事を取りっぱぐれるから)けど、オンライン授業の場合は例えば通常の対面授業と同じ時間帯でLMSに「出勤」と「退勤」をして、それ以外の時間帯には基本的に反応しないというふうにしたほうが良さそうです。でないと早晩身体を壊しそうな予感がします。