インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

オンライン授業をどうする?

YouTubeで拝見したこちらの動画、非常に興味深い内容でした。今回の新型コロナウイルス感染症パンデミックに際して*1日本語学校がネットを使ってできることは何か、これまでにもあった様々なビジネスチャンスを日本語教育業界は見逃してきたんじゃないか、今後の技術革新について行けなければまたまたビジネスチャンスを逃すのではないか……そういった問題意識をもとに行われたネット上での鼎談がメインになっています。


イノベーションのジレンマ〜どうする?日本語教師と日本語学校 オンライン授業は救世主?はたまた悪魔か妖怪か

話題の主軸がちょっと「ゼニカネ」の話に傾倒しすぎていて、日本語教育そのもののありようにまではあまり踏み込んでいないため、教育者の中には反発する方もいるでしょう。「教育にビジネスマインドを持ち込むな」と。でも一方で、ビジネスとして成り立たなければ食べていけないじゃないかというのもわかります。

私は元々全くの畑違いから語学業界に入ってきたのでなんとなく実感できますが、大学などを出てからずっと教育畑の方々にはまさにその「ゼニカネ」の意識が薄すぎるのではないかという側面はたしかにあります(その一方で、民間企業に勤めたことがないから世間知らずだなどというよくある非難は、ちょっと言いすぎだと思っています。どんな業界にいても、思考方法にはそれなりのバイアスがかかる。それは民間企業でも変わりません)。

ともあれ、この動画では様々な問題意識が共有され、確認されていました。例えば今後5G(第五世代移動通信システム)が普及して桁違いの大容量通信が実現すれば、オンラインで何かをやる(遠隔授業やネット会議やVRなど)環境が劇的に良くなるわけで、そんな環境下では既存の「通学して何かを学ぶ」という学校はその存在意義を問われることになるのではないか、という問題意識。

それは日本語学校も例外ではないのだと。しかも、学生のほとんどが海外からの留学生であるという日本語学校にあってみれば、ネット環境が充実し、オンラインの授業が普及すればするほど、「日本に留学する必要すらないのでは?」という志向になるのは確実ではないかと。もちろん留学には、実際にその言語環境に身を置き、社会や文化に触れるという大切な側面もありますから、いますぐすべてがオンライン授業に置き換わる・置き換わることができるわけではないにしても。

f:id:QianChong:20200412113359p:plain
https://www.irasutoya.com/2020/04/blog-post_632.html

私の場合は通訳訓練がメインで、その他に外語(中国語)のクラスや一般教養などのクラスを担当しています。このうち外語と一般教養についてはオンライン授業に移行するのは比較的たやすいかもしれません。一方的な講義ではなく、ある程度の双方向性が必要ですから、そのための方策に頭をひねる必要はありますが、通信インフラの整備という問題(後述します)を除けば、Zoomのようなシステムでまあなんとか対応可能でしょう。

問題は通訳訓練で、これをオンライン授業、それもリアルタイムで双方向にやり取りする形でどうやって実現できるのか、いまのところまだいいアイデアが浮かんでいません(それもあって、冒頭の動画など先賢の知恵に学ぼうとしています)。そもそも既存の教室での通訳訓練だって、すでにある程度バーチャルなのです。本当は生身の人間が話しているのを聴き取って訳すという形にしたいところを、コスト面など様々な制約があるために音声や音声付き映像などをつかって訓練している。それをさらにオンライン授業という形でバーチャルの屋上屋を架すわけですから。

これは「ずぼら」なくせに無い物ねだりが過ぎる私だけかもしれませんが、通訳訓練って、バーチャルな環境になればなるほど、やる気が失せるものなんですよね。生身の人間がいる場所に身を置いて、その臨場感がなければ訳出にも身が入らないんです。例えば自宅で、通訳教材の音声を聴いて訳出します。でも訳出し終わって「それで、何?」という気分になっちゃう。現場でのあの、うなずきながら耳を傾けている聴衆に「なるほど、そういうことか」という理解感(?)、納得感みたいなものが広がる感覚、あるいは逆に聴衆が首を傾けながらの「ん? どゆこと?」という空気感がこっちに跳ね返ってくるような感覚、そういうのがないとなんだか全然鍛えられている感じがしないのです。

また、いつも音声や映像で訓練をしていて、たまに通訳実習などで現場で生身の発話者を前に通訳をしてみると、普段よりもパフォーマンスが良くなるというは誰もが(たぶん)経験していることだと思います。それがたとえブースの中で音響機器を介してヘッドホンなどで聴いている同時通訳の現場であっても、生身の人間が自分の近くで話していて、できれば顔の表情なども見えていたりすれば、それだけよく聴き取れるし理解でき、したがって訳出も「ノッてくる」。そういう実感があるのです。だから、私も何度かやったことがありますが、テレビ会議や電話での通訳って、とってもやりにくいのです。まあこれは単に私に実力が足りないからかもしれませんが。

とはいえ、現在のような状況が長く続くようであれば、嫌でも面倒でもオンライン授業の可能性を模索していかねばなりません。オンライン授業というのをもっと広く「遠隔教育」と捉えて、通訳訓練の教材を作ることはできるかもしれません。例えば、資料やグロッサリーなどはメールで配布して、各自が予習をするよう指示しておき、こちらから音声や映像にポーズを入れた教材を配信して学生がそれぞれ訳出したものを録音または録画してもらい、それを回収してコメントを出すとか。

翻訳ならこういう教材配布→各自が翻訳→回収して添削→フィードバックという形でかなり充実した形を作ることができると思いますが、通訳ではどうかなあ……。まあ自分が学生なら、上述したような理由もあって、あまり気乗りしない訓練になりそうな気がしますが。でもやらないよりはマシでしょうか。

あともう一つ、こうしたことを実現するためには通信インフラの問題もあります。学生さんは、特に留学生の場合は、全員が全員自宅にパソコンとWi-Fi環境があるとは限りません。きょうびの学生さんはパソコンをもたず、ネットに繋がるデバイススマホだけという人もいます。Wi-Fi環境があっても、データ通信量の上限という問題もあります。動画やファイルをぼんぼん配布して大丈夫なのか。デバイスも様々な中、数人程度ならまだしも何十人もいる学生と統一的につながって授業ができるのか。万一トラブルが発生した場合にどうケアを行うのか。

また教材を配布しても、それに記入などするとなるとプリントアウトする必要があるかもしれません。いやいや、もうここは紙の教材という古い概念から完全に脱却することが必要なのだ、いやいや手を動かすことは大切だから郵便で送ればいいじゃないか、いやいやそれじゃ通信を利用する意味がない、いやいや……同僚とネット上で話していても議論がまとまりません。

他にもまだまだ懸念材料はありますが、もし継続的にオンライン授業を行うとすれば、これまでの教育とはまったく違った発想や概念が求められそうだということだけは私にも分かってきました。圧倒的に学びが足りていません。それで冒頭にご紹介したような動画も拝見したわけです。これからもいろいろな方に学びたいと思います。

が……しかしこの取り組み、既存の教材が使えず、したがって新しい教材を作り出さねばならない一方で、その教材づくり・教案づくり以前のお膳立てにさえまだ目途が立っていないという……ちょっと困難を感じています。

*1:余談ですが、こういった状況を指す簡便な単語がないなあと思います。中国語では“疫情”と一言で済んでしまう。「今回の“疫情”に際して」と書きたいところです。