インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

体育会系

子供の頃からスポーツが苦手でした。だからもちろん体育の時間が一番嫌いでした。

でも小学生の頃は「男の子だったら野球をやっていて当然」というような同調圧力がありまして、好きでもないのにプロ野球の球団の帽子をかぶって、グローブも持ってましたね。でも子供の野球って、個人の運動神経やスポースセンスによって、それはもう残酷なほどの「ヒエラルキー」が構成されるものでして。私は常に「ライトの後ろの球拾い」でした。

中学生の頃は、私が通っていた公立の中学校が(今から考えると)かなり問題のある学校で、軍隊式の行進を延々とやらせたり、君が代の斉唱をやらせたり。体罰も日常茶飯事でしたし、おかしな校則もどっさりありました。今でも一番印象に残っているのは「Tシャツのワインポイント問題」。

確か合宿か修学旅行のとき、就寝時に用いる白いTシャツを持参すべしとなっていて、当時男子の間で圧倒的に人気があったのは「アディダス」と「プーマ」だったんです。だけどワンポイントの大きさは「十円玉以下」という規則がありまして、アディダス三つ葉マークはうまく収まったものの、プーマは尻尾がどうしてもはみ出しちゃうので、全員買い直させられたという……。

学生時代に入っていたサークルや部活もすべて美術部や吹奏楽部や演劇部やアマチュア無線部などの「文化会系」でした。もっとも「文化会系」だからといって「体育会系」的なメンタリティと無縁かといえばそうでもなく、美術部は個々で好きなことやってましたけど、それ以外はけっこう「体育会系」的なノリでした。吹奏楽部はコンクールに向けて、演劇部はまんま肉体訓練、アマチュア無線部もコンテスト(一定の時間内にどれだけたくさんの局と交信できるかを競う)ってのがあるんです。

サラリーマンの頃には、まんま体育会系の「先輩」にくっついて顧客回りをするのがしんどかったです。この会社では休日返上で野球の試合に駆り出されるなんてこともあって、いまの私だったら「ヤです」って断っちゃうところですが、当時はそんなブラック企業に対抗するすべも知らず……。

こうしてみると、とにかく私は「体育会系」的なノリとは折り合いが悪かったですね。だからいま、学校というある意味「体育会系」的なノリがいかんなく発揮されやすい職場に勤めているので、自分でも日々気をつけています。もっとも、生徒は全員外国人留学生で、同調圧力などどこ吹く風のみなさんですから、見ていて微笑ましいですけど。それでも留学生を預かる学校は国から厳しい管理を受けており、例えば出席率や資格外活動(アルバイト)などについて厳格な規定がありますから、ときに「体育会系」的なノリで留学生に接しているんじゃないかという懸念は残るのですが。

先日、サンドラ・へフェリン氏のその名もズバリ『体育会系』という本を読みました。学校から会社組織、地域社会にいたるまで、この国に蔓延している「体育会系」的な思考方法と慣習が、どれだけ私たちを(なかでも女性を)苦しめているか、何度も「そうそう!」と膝を叩き「この2020年に、どうしてまだそんなことが……」と失笑しつつも軽い絶望感に襲われました。

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体育会系 日本を蝕む病 (光文社新書)

「本人にやる気さえあれば、どんな状況でも人は目標を成し遂げられるはず」。そういった自他ともに厳しい態度がこうした「体育会系」的思考の蔓延を招いている一因ではないかと氏はおっしゃいます。こういう思考といちばん親和性が強いのは……やはり教師のような職業かもしれません。あらためて気をつけなければと思った次第です。