インタプリタかなくぎ流

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図書館のリサイクル本から拾った『中国故事』

先日、勤め先の学校の図書館に行ったら、入り口のところに「ご自由にお持ちください」と「リサイクル資料」が何十冊も並べられていました。文献としてすでに古くなったものや、時代遅れになったもの、新版が出て要らなくなったものなどを処分しつつ、定期的に書籍を処理して書架のスペースを確保するためだと思いますが、その中に角川選書の『中国故事』という本を見つけました。飯塚朗氏の著作です。

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中国故事 (角川選書 71)

お名前を拝見して、あれ、もしや……と思いネットで検索してみると、はたして余華の『活きる』など中国文学の翻訳でも有名な飯塚容氏のお父様でした。それはさておき、この『中国故事』には、長い歴史の中で日本語にも入ってきた様々な故事成語や諺などが軽妙な解説とともに収められています。「膾炙」「杜撰」「推敲」などに始まって、「漁夫の利」や「日暮れて道遠し」「覆水盆に返らず」、さらには能楽にもなっている「王昭君」「楊貴妃」「邯鄲の夢」などなど、普段使っている様々な日本語の語源をたどることができて、とても面白い。この本を除籍にしちゃうなんて、もったいないなあと思いました。

とはいえ、確かに現在から見るとやや古いトピックが使われているなと思う部分もあります。一般向けの軽妙な解説なので、その時々の世相を反映した記述が色々と出てくるのです。例えば高度経済成長時代の終わりあたりに流行した言葉の「過保護」をはじめ、「何十年ぶりで南の島のジャングルから帰った元日本兵」とか「集団就職」とか「スモッグ」とか「最高裁があるんだ!」とかですね。それもまあ面白いのですが、ひときわ目を引くのは「日中友好」とか「中国人民」とか「新中国」という言葉のほかに、「文化大革命」などに触れた記述が時々あることです。

急いで奥付けを見てみれば、この本の初版発行は昭和49年、つまり1974年。日中共同声明によって「国交正常化」がなされた1972年からほどない頃で、中華人民共和国はいまだ文化大革命(の長い惰性のような)時代でした。ですから例えば「大義親を滅す」の項では「最近でも中国語の文化大革命後、林彪が失脚したが、お嬢さんが密告したというような噂があった。これまた『大義親を滅した』のかも知れない」と結ばれていたりして「時代だなあ……」となかなか感慨深いものがあります。

さらに面白いとおもったのが、「最近の中国の書物では」とか「最近の中国書が教えるところでは」などの記述があちこちに見えることです。そこでは例えば「杞憂」の項で「この寓言の意味するところは、憂いとするに当たらぬ憂い、ということにかぎらず、当時の人が天地現象に関心をもち、それを解こうとしていることを描いていて、それこそ素朴な唯物観点の表現である、と書いている」と「最近の中国」の解説を紹介しています。そして飯塚朗氏自身はそれに「はたしてそうだろうか?」と疑問を呈しておられるのです。

「朝三暮四」の項でも、「最近の中国書」から「狙公の愚弄は、搾取階級の用いるものだ」という見解を紹介していて、それに飯塚氏は「そうなると狙公がブルジョアで、猿がプロレタリアか。あるいは狙公がインテリ、猿が愚民とも考えられ……」と大真面目にツッコむような解説が入っています。飯塚氏はきわめて温厚な筆致で書かれていますが、やはりこれは当時の「イデオロギッシュ」な中国の研究書に対する困惑と批判が込められたものではないでしょうか。

当時の書籍は、例えば有名な子供向け科学解説書シリーズの『十万个为什么(十万個の「なぜ」?)』でさえ、プロレタリア文化大革命的価値観で自然科学を論じるというような、現在から見れば非常に興味深い現象がありました。飯塚朗氏のこの古い本からも、そうした時代の背景を垣間見ることができて、本題の「故事」解説ともども楽しく読みました。そしてまた、研究者の健全な批判精神というものについても、色々と考えさせられるものがあったのでした。