インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

再現性と個性

こちらのインタビュー記事、とても興味深く、また共感を持って読みました。能楽喜多流能楽師、高林白牛口二(たかばやしこうじ)氏に取材した記事です。

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再現性について

共感を持ったのは例えば、AIやロボットの技術で優れた技芸を保存したり蘇らせたりしてはどうかという問いに、「能は人間がつくるものであり、二度と同じものができないからこそ意味がある」と答えられている部分。

たしかにAIやロボットを使えば、同じことを何度も再現できるかもしれません。しかし、それは『死んでいる』ということです。演者が人間であり、生きているからこそ変化があります。逆にいえば、演者が人間でいる限り、能の質は上がることもあれば下がることもある。でもだからこそ、明日の能は今日の能より良いかもしれない。それが『生きている』ということです。たとえ名人の芸を再現しても、それが再現である限り、もうそれ以上良くなることはない。死んでいるのです。

これは能楽に限らず、あらゆる営みに通じる精神ではないでしょうか。能楽師の感得された境地に自分を引きつけるのもおこがましいですが、私も例えば授業やセミナーなどで話す際に、たまさか「上手にできた」と自分で思ったものをもう一度再現しようとすると必ずといっていいほど失敗します。手元にメモや原稿のようなものを置いたり、パワポのプレゼンモードで「このスライドの時に言うべきこと」みたいなメモを準備すればするほど、話す内容が「死んでいる」んですよね。

それよりも、入念に準備や練習をすることは当然としても、本番では思い切ってフリーハンドでしゃべった方が上手くいく……どころか、自分でも思いがけなかったようなことを話したり気づいたりして、それこそ「望外」の収穫があることが多いのです(失敗もままありますが)。

個性について

伝統芸能である能楽について、「前の時代から伝えられたものをできる限りそのまま次世代に伝える」ことが最も大切であるなら、現代に生きる自分が能を演じることにどんな意味があるのかと問われて高林氏は、人間、その人自身は絶えず変化しているので「同じものを引き継ごうとしても、変化は必ず芸に現れ」るとし、こう答えています。

この『止めようとしてもどうしても発生してしまう変化』が『現代に必要な変化』の上限です。それ以上の目に見える変化を追い求めず、あくまでも『前向きに現状維持すること』こそが伝統を守るということであり、今、現代人が能を演じる意味なのです。

これもたぶん、およそ技芸全般(芸術のみならず、どんな仕事の技術であっても)に通じるお話だと思います。ある技芸における「個性」とは、同じことを繰り返し繰り返し練習して完璧にできるようになったその先に、どうしてもやむなくはみ出してしまうようなものであって、初手から「個性的」にやってやろうとしているうちは非常に薄っぺらいものしかできない……というのに通じるお話だと思います。

美大に通っていたとき、古典の研究が何よりも大切だと聞かされていながら、そんな古くさいものに拘泥して何になるんだ、自由な精神による個性の発露こそが新しい芸術をつくるんだ! ……みたいに考えていた自分がいま猛烈に恥ずかしいです。どんな学術分野だってまずは先行研究の徹底的なリサーチから始まりますよね。歴史に立脚しない学問はありえない。それは芸術だって同じです。

ネットで検索していたら、高林氏への別のインタビュー記事も見つけました。かなり長い記事ですが、こちらも伝統について、技芸について、個性について、示唆に富む発言が満載。必見です。

www.nanakonakajima.com

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