インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学の先生がふと口にする妙諦

フィンランド語を細々と学び続けて10ヶ月ほど。これまで通っていたクラスは昨年末で最少催行人数を割り込んでしまったとかで開講されなくなってしまいました。語学のクラスって、初級から中級にさしかかるあたりで継続する方がぐっと減るんですよね。東京都内では自分のレベルに合ったクラスがないので、先生のおすすめで毎週横浜まで通って学習を続けています。

先日の授業では、作文の練習をするときに先生(日本語母語話者)がちらっと「フィンランド語の構造は畢竟こういうことなんです」といった超重要なことをおっしゃっていました。「大事なことなので二回言います」ではなく、本当に「ちらっと」。

先生曰く、フィンランド語は、①主語と動詞の連動、②目的語の格の決定、③それに連動した指示代名詞や形容詞などの変化……と、大局的にはこれに尽き、この構造を瞬時に作っていけるかどうかが大切だと。しかも実際には③の要素が②の前に出てくることが多いので、目的語の格を予想しつつ指示代名詞や形容詞の形を作れるかというその感覚が鍵になると。

つまり……

minä(私) haluta(したい) mennä(行く) tuo(あの) sininen(青い) ravintola(レストラン)

……という単語の原型(不定詞)が頭に浮かんだとして、それを……

① minä haluan mennä …… 主語と動詞の連動で「私は行きたい」。
② ravintolaan …… 目的語を「〜へ」を表す入格に。
③ tuohon siniseen …… 目的語の格に合わせて、指示代名詞と形容詞も入格に。

……と一瞬で組み立て、“ Minä haluan mennä tuohon siniseen ravintolaan.(私はあの青いレストランに行きたい)”と言えるかどうかが鍵だというわけです。

同じように、“ minä ottaa tuo punainen kirja tuo keltainen pöytä ” から “ Minä otan tuo punaisen kirjan tuolta kaltaiselta pöydältä.(私はあの黄色いテーブルの上からあの赤い本を一冊取ります)”と言えるか、組み立てられるかどうかだと。

おおお、これはなんだかとても大切な指摘のように思えます。私だけかもしれませんけど、外語を話している時はこんな感じで(その外語の成り立ち方に沿って)話す先に次々と自動的に言葉が紡がれて組み上がっていくような「ドライブ感」があるからです。極端なことを言っちゃうと、外語が話せるかどうかはこの「オートマトン」的なドライブ感を獲得できるかどうかじゃないかとさえ思っています。

語学の授業ではこういう、その言語の母語話者ではない方が苦労しながら獲得し、抽出したエキスのような「妙諦」を聞き逃さないのが大切な勘所のひとつなんじゃないかと思うんです。中国語で言えば「動詞をめぐって補語とアスペクトが働き、細やかでヴィヴィッドな表現を作り出してる」と喝破されるようなものですね。

語学の先生は、ときどきこういう「妙諦」を口にされるんですけど、それらは意図的に繰り返しておっしゃっていることもあれば、ふとした弾みで思わず(おそらく先生も無意識のうちに)披露していることもあります。そしてそれは授業の雑談的なところにこそ現れたりする。だから生徒側はそこを聞き逃しちゃいけません。

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Minä haluan mennä tähän valkoiseen ravintolaan.