先日、日本経済新聞電子版のこの記事に思うところあって、Twitterでツイートしました。
留学生が日本で最も「心折れること」の一つは、コンビニなどのアルバイト先でちょっとした日本語の拙さを揶揄されることだそうです。そういう人は一度我が身に置き換えて想像してみてほしい。その国の言語を使ってコンビニで働くことがどんなにすごいことなのか分からない? https://t.co/wSi5wellXe
— 徳久圭 (@QianChong) 2018年9月28日
いまのところリツイートが8300ほど、「いいね」が12000ほどついています。
一年に一回くらいはこういうことがあるのですが、なぜこんなに急速に拡散したのでしょうか。やはりみなさんコンビニなど様々な場所で外国人労働者に接する機会が増えていて、戸惑いやら驚きやら共感やら……さまざまな感慨を持たれていて、かつ日本社会がまだそれを当たり前の光景として受け入れ切れていないために、とても新鮮だったということなのでしょうか。
とはいえ、新鮮に感じるべきは日本経済新聞の記事そのものの方です。私は自分の職場で日々接する留学生のみなさんの声を紹介しただけ。自分が中国語を使って中国や台湾で働いていたときは常に緊張とチャレンジの連続だったので、いま現在同じような立場にある外国人労働者や留学生のみなさんにエールを送るつもりでツイートしました。
あまりに拡散が速かったのですべてを追い切れていませんが、リプライやリツイートのコメントを拝見するに……
コンビニなどで働く留学生などの外国人に対してもっと寛容であるべきと考える方が半分くらい。そのほか、移民や難民の問題と絡めて自説を述べる方、また言語や国籍に関係なくサービス業という仕事なんだから甘えるなという厳しい意見の方もけっこう多いです。あと少数ですが単なるヘイトスピーチや意味不明なもの(いわゆる「クソリプ」)も。
それから、これは今回に限らないのですが、語学系のツイートやコメントは拡散しやすい印象があります。そうした反応の基調となっているのは「日本人は外語(なかんずく英語)が苦手だ、もっと頑張らなきゃ」というもの。今回もその延長線上で「だから留学生の日本語の拙さ云々は身のほど知らずで恥ずかしい」というような主張の方も多かったです。
明治からこのかた、日本人は涙ぐましいほどの努力で外語に取り組んできました。その努力は今も営々と続けられ、早期英語教育の導入などによってますます強化されようとしています。でもその割には「異文化」への接し方、それも異文化を体現している生身の人々に対するリテラシーのようなものがあまり涵養されていないような気がします。つまり文化の異なるお隣さんとどうつきあうかという課題です。
だから外語、ないしは言語の話題になると、それぞれの苦労ないし努力された(あるいは苦労ないし努力しつつある)ご経験やお立場からついエモーショナルな反応をかき立てられる方が多くて、それで語学系のツイートやコメントは拡散しやすいのかなと。そしてまた、日本人がまだ異文化や他の言語に対する立ち位置なり腰の据え方なりを決めかねているからゆえの「議論百出」なんじゃないかと思いました。
これは私たちの外語や異文化に対するコンプレックスの裏返しかもしれません。明治から150年の時が過ぎても、私たちはまだこの課題に対して冷静に、それなりに自信を持って提出できる答えを見つけていないんですね。
ところで、今回も改めて感じましたけど、Twitter上でいきなり罵声を浴びせて去って行くだけ(しかも匿名で)という方は存外多いですね。またツイートの内容や前後の脈絡をほとんど踏まえずに(だから「いきなり」なわけですが)決めつけたり叱りつけたりする方もちらほら。そもそもTwitterがそうした脊髄反射的な反応がしやすいメディアなんでしょうけど、心の健康のためにはやっぱりTwitterからはもう少し距離を置いたほうがいいかな。
中国や韓国との政治的な関係が悪くなると、ネット上にはきまって「断交だ」「出て行け」的な暴言が湧いて出ますが、少しでも貿易や金融や経済について初歩的な解説書でも読んだことがある人なら、そんな幼稚な言葉は吐けないはずです。私たちはすでに世界中の様々な国や地域や民族と分かちがたく結びつき、相互に影響を及ぼしあっているのですから。
https://www.irasutoya.com/2016/03/blog-post_24.html
……と、ここまで書いて冒頭の自分のツイートを読み返してみたら、私も「その国の言語を使ってコンビニで働くことがどんなにすごいことなのか分からない?」と、どことなく上から目線の投げつけ口調ですね。売り言葉に買い言葉。こういうニュアンスもまた、脊髄反射的な反応を呼び込むのかもしれません。