インタプリタかなくぎ流

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輸入学問の功罪

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか?
  学生時代、七割の「ええかっこしい」と三割の知的好奇心とで、いろいろと「洋物」の哲学書に手を出した。けれどたいがい一割も読み進まないうちに睡魔に襲われる。なかには序文で白旗をあげたものすらあった。きちんと最後まで読んだものは果たして何冊あっただろうか。最後まで読めたとしても、中身を理解したと言えるものは皆無だったに違いない。胸を張ってる場合じゃないが。
  この本は、明治以来の哲学書に関する翻訳論を縦糸に、そしてドイツ教養主義の成立からそれが日本の近代化に与えた影響を横糸にして、輸入学問と翻訳文化の刷新という大風呂敷(失礼?)を広げる。
  この市場の競争原理が隅々にまで行き渡った現代で、なぜ哲学の翻訳書だけがその競争から遠く離れたところで存在できているのかという問いかけがおもしろい。つまり一読、睡魔に襲われるような難解極まりない翻訳が、なぜ今も再生産され続けているのかと。一つには私のような「ええかっこしい」が次々登場するからだろうけれど、もう一つは日本の近代化の過程に潜んでいた大きな問題に根ざしているんじゃないのか、というのが著者の仮定だ。
  近代化論の部分は私には少々しんどかったけれど、翻訳論の部分はすごく刺激的だった。こうした翻訳論にはおなじみの、同じ原文から訳された異なる訳文を比較検証して批判する部分もある。けれど著者の筆致は単に誤訳をあげつらうのではなく、とても抑制と目配りの効いた誠実な筆致だと思った。また本全体に占める分量はわずかだが、翻訳の可能性について論じた部分は少々興奮して、さらには目頭まで熱くなってしまった。