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黄泉の犬

黄泉の犬
  藤原新也氏の最新刊。
  学生時代に写真好きの友人から藤原氏の本をすすめられて以来、『印度放浪』や『西蔵放浪』を皮切りにいろいろと読んできたが、いつも引き込まれて一気に読了してしまう。硬派で、あまり取っつきやすい文体ではないのだが、この人の文章には不思議な静謐感が漂っていて、それが大きな魅力だ。
  『逍遥游記』だったか、そこに描かれた台湾や香港が、猥雑な雰囲気を孕みながらも非常に静かな印象だったので、後年実際に台湾や香港を訪れた時にはずいぶんギャップを感じたものだ。もっとも、私は言葉を学んでからそうした場所を訪れたので、カルチャーショックをあまり受けなかったせいかもしれないが。
  『メメント・モリ』で有名になった犬に食われる人の写真。その写真を撮った時のエピソードが、一読者にインタビューされる藤原氏という奇妙な設定の中で語られる。
  また、これはネタバレになるから詳しく書かないが、オウム真理教事件に関して、これまで伏せられてきた事実も冒頭の数章で語られる。私はこの数章の舞台になっている街に五年間住んだことがあり、当時オウム真理教が最初の拠点を築こうとして地元とトラブルを起こしていたニュースを連日のように見聞きしていたので、とても衝撃的だった。もしここで語られていることがその当時知らされていたら、また地下鉄サリン事件の時にこれが明らかになっていたら、どれほど大きな反響があっただろうかと思う。
  それともうひとつ、この本の主要なテーマを成している、青年期のナロードニキ的衝動とでもいうべき心性も個人的には「イタい」。言うなれば、都市生活の疲労感と疎外感から、一足飛びにインドを目指しちゃったり、エコロジーを振りかざしちゃったりするような心性。私がその街に住んでいた理由も、大筋でこれと同根だったんだもの。後悔はしていないけれど、この本を読んでまた身体のどこか深いところがうずく思いをした。